koroのいきあたりばっ旅:アメリカ大陸横断編 -4ページ目
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セビーリャ(1)

2004年10月25日


朝早く(AM8:00)AVEに乗ってセビーリャへ向かう。


AVEといえばスペインが誇る新幹線みたいな高速列車だけど、3月11日のテロで標的になったのもコレである。まぁスペインはこのテロがきっかけでイラクからは撤退してしまったし、大きなテロはないだろうけど、何となく不安になる。


コーヒー立ち飲みのスタンドがあったので、一つ覚えのスペイン語で「カフェ・コン・ラチェ・ポルファボール?」と言うとちゃんとカフェオレが出てきたのでさりげなく感動した。僕が海外を旅していていいなぁと思うのは、こういう瞬間であったりするのだ。



電車に乗って、窓際に座る。まだ暗い空が徐々に明るくなって、カスティリャの広大な大地が見える。これはけっこう感動的だ。見事に荒れた土地で、オリーヴ畑以外ほとんど何もない。ずっと景色を眺めていたけれど、退屈だ。コルドバを過ぎたあたりからオレンジの木が目につくようになった。アンダルシアに入ったのだ。



 セビーリャには10:20に着いた。あいにく曇り空だったが、雨は降っていない。駅からバスで市内へ入る。オレンジの木が街中にあり、南国っぽい椰子の木(のようなもの)も見える。良さそうな街だ。ヌエボ・スイソという宿に入る。どういう意味なのかは知らん。予約はしてなかったが、まぁ大丈夫だろうと思って元気よく行く。


「地球の歩き方」によるとなかなか快適そうなオスタルのはずだったが、実際にはユースホステルとたいして変わりはなかった。女の子も一緒の6人部屋だった。シャワーもトイレも控えめに表現してとても汚かったけれど、めんどくさかったのでまぁいいやと思って泊まることにする。



荷物を置くとすぐ街に出てみた。実は、セビーリャの街に何があるのかという事前知識は全く無かった。以前読んだ川島誠の「セビーリャ」という短編の舞台がこの街で、特にその話が好きだったわけではなかったのだけれど、スペインに行くならぜひここを見てみたいと思って来たのだ。
 

オスタルのフロントの人の話によると、この街には巨大なカテドラル(大聖堂)があるらしいので、まずそこに行くことにした。


しかしその前に腹が減ったので、適当な食堂に入ってワインとメインにコーヒーが付く定食を頼んだ。というかよくわからなかったから適当に定食っぽいやつを指差しただけだったのだけれど、なかなかおいしくて6ユーロだったので満足する。そしてそのすぐ近くにあったカテドラルに行く。


カテドラルの中に入ると、確かにおどろくほど広かった。今まで行ったヨーロッパのどのカテドラルよりも大きく荘厳だった。これを建てた人たちは「後世の者が我々を正気の沙汰ではないと思うような物を作ろう」と言ったらしいが、これは確かに正気ではない。中が広いのはイスラム時代のモスクの名残らしいけれど。


その隣にあるタワーにも上ったのだけれど、これもすごかった。一番上まで歩いて上ると、街全体が見渡せるのだが、その景色が素晴らしい。街は白かった。南ヨーロッパによくある白壁の家並みだが、僕は初めて見たので少なからず感動した。ところどころにヤシの木が見える。うーん、これはベルギーとは大分違うな、とても同じヨーロッパとは思えないなぁと思った。晴れていればきっともっと美しかったのだろうけれど、これはしかたがない。



 タワーを降りたあと、街の中をうろついてみようと思ってカテドラルのすぐ前の道を渡ると、道の向かい側に背の低いスペイン人ぽいおばさんがいて、僕に向かってにっこりと笑いかけた。手には小さな草のようなものを持っている。


その人は人の良さそうな笑顔を浮かべたまま、自分の胸を指差し、それから僕の胸を指差して何か言った。


なんと言ったのかわからなかったので、僕がスペイン語はわからないのだと英語で言うと、彼女は手に持っている何かの枝のようなものを僕のシャツの胸ポケットに突っ込んで、手を出してみろというようなジェスチャーをした。金を取られるんじゃないかという不安感が一瞬頭の中をよぎったが、この人は良さそうな人だしまわりに人もいるから大丈夫だろうと思って手を出してみると、そのおばさんは僕の手をまじまじと眺め、手に何か指で書いた。そして真剣な顔で何かを言ったが、僕にはよくわからなかった。占いか予言のような感じだった。


僕が笑顔を浮かべて、「グラシアス」と言って立ち去ろうとすると、そのおばちゃんは僕の手を握って「お金をくれよ」みたいなことを言った。結局そういうやつだったのかと軽く失望しながら僕は金なんか持ってないよ、と身振り手振りで言ってごまかそうとしたのだけれど、そのおばちゃんはヒステリックに「金がないなら最初にそう言え!やってもらったあとで言うのはおかしいだろう!」みたいなことをずうっと言っているし、そのうちに周りから同じような身なりのおばちゃんが2,3人集まってきて「あんたはこの人に少しでもいいからお金を上げなくてはいけないよ。これは規則だから」というようなことをスペイン語と片言の英語で言ったのでとうとう根負けして1ドル札を渡して逃げた。


ふう、やっぱりああいうこともあるんだなぁ、と僕は歩きながら思った。胸ポケットにはさっきのおばちゃんがさしてくれた枝がまだ入っていたけれど、僕は少し迷ってからそれを道端に捨てた。

マドリッド2日目

2004年10月24日(日)


朝早く起きたものの、街に出たのは10時くらいだった。

最も今日は日曜日なので早く街に出たって特にやることはない。昨日けっこう暖かかったので半袖シャツ一枚で外に出ると、意外にも涼しいのでびっくりする。マドリッドは台地の上にあり、昼夜の寒暖差がけっこう激しいらしいのだ。



まずふらふらとソル(街の中心の広場)のほうへ歩き、スペイン広場まで行く。日が照って、ようやく暖かくなってくる。スペイン広場では日向ぼっこしている人もいた。ドン・キホーテの像も見るけど、なんだか間抜けた顔のロバ(馬か?)に乗っているなぁという印象しかなかった。街全体に、西欧のほかの都市とはやや違った雰囲気が漂っている。それが面白い。どこがどう違うのかと具体的に言えといわれてもわからないけど・・・


メトロに乗ってアトーチャ駅へ行って明日の切符を買う。アトーチャ駅の中にはなぜか温室植物園のようなものがあって、中がもわっと暖かかった。アトーチャ駅といえば3月11日に例のテロがあったところである。しかしその面影はどこにもなかった。


駅から美術館のほうに歩いていく。強い日差しが照りつけるが、からっと晴れているのでとても気持ちが良い。この美術館、日曜日だと入場料無料と「歩き方」に書いてあったので喜んで行ってみたんだけど、人が多すぎる。やっぱりみんな考えることは同じなのねぇ。


美術館はパスして、マヨール広場へ行く。でーんとした広場で、一瞬圧倒される。そこから歩いていくと、のみの市のようなところがあって、人が大勢いた。わいわいと賑わっていて、しかもその規模がかなり大きい。竹下通り一つ分そっくり持ってきたような市だ。さすがに全部は見きれなかったけれど、活気があって面白い。


 昼食は「花友」という日本食屋でラーメンを食べる。久しぶりに日本の味だ。値段もまともな範囲内だった。いいことだ。海外で日本食を食べると、ふざけるな!と叫びたくなるくらい高いところあるものねぇ。


満足してそのままメトロに乗ってサンティアゴ・ベルナベウにあるレアル・マドリッドのホームスタジアムを見に行った。レアル・マドリッドといえば世界最高峰の有名サッカーチームだ。


スタジアムツアーで実際のフィールドを見たときにはサッカー少年のはしくれとしてかなり感激した。これがあのスーパースター達がプレーしているところなのか。すごい、のヒトコトだった。ショップでサッカーシャツを買い、ラウールのネームを入れてもらった。ラウールが好きなのか、と店員にきかれたので「好きだよ。昨日も点を入れたしね」と答えた。
 


そして、次は闘牛場へ行く。やっぱし、太陽にあふれる南国スペインといえば、闘牛でしょう。


でも、これについては僕のもう一つのブログのほうでも書いたので、そちら のほうを参照してください。


闘牛が終わるころには日が暮れて、さすがに少し肌寒くなってきていた。近くの、ゆうべとは違う食堂に入って(そりゃそうだ、あんなところに二度も入れん)、またお金が足りずきちんとお金を払って、戻って寝た。疲れてるのかしらんけど、早々と寝てしまった。

10月23日(土)-マドリッド-

飛行機の中から、ピレネー山脈らしきものが見えた。方向と地理からいって、まず間違いないはずだ。

そう高くはない山々のはずだが、やけにでこぼこがはっきりして見える。


ピレネー山脈を越えると、眼下の風景が一変してしまったことに気づいた。それまでは単調ないかにも西ヨーロッパの田舎的農村地帯だったのが、急に中央アジアにでも来たように赤茶けた大地に変ったのだ。なるほど、ナポレオンが「ピレネーを越えたらそこはアフリカだ」と言ったのもわかる気がする。ほどなくして、飛行機はマドリッド空港へ着いた。



 ブリュッセルは寒くて北風が吹いていたが、マドリッドは晴れて、気温は24℃くらいだという。たしかにここは南国だ。ターミナルの中から見える郊外の景色は、いわゆる一般的イメージの(フランスとかドイツとかの)ヨーロッパとはだいぶ違う。まず、景色が赤茶けた大地なのだ。これは新鮮で面白そうだ、と僕は思った。しかし一人旅だし、マドリッドは犯罪が多いと聞くから気を引き締めなければ、と僕は自分に言い聞かせた。
 

僕は空港のトイレに入り、財布の中からビザカードとパスポートナンバーを控えた紙切れを出して自分が今はいている靴下の中に入れた。もちろん盗まれないためだ。そんなの警戒しすぎだろ、と思うかもしれないけど、事前に読んだ外務省のホームページには「マドリッドでは首絞め強盗が多発していて、日本人観光客はターゲットになっている」と書いてあったのでびびった。「昨年だけで200人以上が被害にあっている」・・・かなり多いじゃないか!そんなにはっきり書かれても困る。


ヨーロッパに来てから犯罪(そのほとんどはスリや強盗だけど)が多いというのはどこに行ってもきくけれど、首絞めなんてきいたことない。首絞められて気絶させられたら、どんなに頑張っても身ぐるみはがされてしまうのは目に見えている。だからせめてこれだけはとられたくない、というものだけ靴下の中に隠した。現金はいくらか財布の中に入っているけれど、もうあとはとられてもしょうがない。それだけ隠してしまうととても気分が楽になった。

 空港からメトロで市内へ向かう。メトロはきれいでつかいやすそうだった。人々もいかにもラテン系で明るく、ファッションも明るくてどことなく騒々しいが悪い感じはしない。

 アトーチャ駅の近くの安宿(2泊で34ユーロ)に荷物を置いて、さっそく街へ出てみる。このあたりはマドリッドの中でも最もにぎやかな地域ではないみたいだが、活気にあふれ、おいしそうな食堂がいくつもあり、人々が通りにあふれていた。とりあえず腹が減ったので適当な食堂に入る。


スペイン語はまったくわからないが、英語がわかるウェイターがいたので助かった。カラマリ(イカのフライ)とビールを頼み、パンを食べる。テレビでレアル・マドリッドの試合をやっていたのでぼんやり眺める。けっこう大勢人が入っているが、一人でもぶらっと入れてしかも値段は高くなく、うまい。この店に限らず、まわりもそんな感じだった。いい感じだ。ベルギーなんかでちょっとレストランに、なんていうとTシャツにジーンズだと入りにくい雰囲気の所も多いし(もちろんそういうところばっかりじゃないけど)、値段もそれほどは安くない。だから僕はマドリッドの街のそういう気楽さが気に入った。


しかし勘定を払うときになって10ユーロちょっとしか持っていないことに気がついた。大きな金は宿においてきたのだ。しかもパンはサービスかと思っていたらしっかり料金に含まれていたので12ユーロ。金を取りに帰るのも面倒だったので11ユーロの有り金を全部置いて逃げるように出てきた。すまぬ。しょっぱなからこんなことで大丈夫かなぁと思いながら宿に帰って、スペイン語で何やら話しかけてきた隣の部屋のおじさんを追い払って、疲れていたのですぐに寝る。

スペイン前夜

僕(koro)は去年の後半にベルギーにいました。1セメスターだけ交換留学のようなもので行っていたのです。このプログラムの良いところは、秋休みが長くて10日間くらいあったことでした。


ベルギーでの生活の話はまたいつか書きますが、とりあえず、スペインに行く直前の話を少しだけ書いておきます。暇だったのでだらだらと書いていた日記から、ほとんどそのまま写したものです。

今になってみると、なかなか面白いですね、自分の日記を読んでみるのも・・・。

2004年10月23日(金)


まったくまったく。また日記をつけるのをサボってしまった。まぁ自分のために書いてるわけだから、どうでもいいと言えばいいんだけど・・・。この一週間、テストとペーパーやらなにやらに追われてとても忙しかったし、僕にとってはあまりいい一週間じゃなかった。週の初めは15枚のインターンペーパーを集中して書いていて、そのあとはテスト勉強をしていた。


自分ではけっこう勉強したつもりだったのだけれど、木曜のテストは散々の出来だった。たぶん僕が今まで受けたテストの中で一番か二番くらいに出来なかったテストだろう。とくに筆記は最悪で、言葉がまったくでてこなくて、ほとんど白紙で出した。そして、参ったな、俺はここでいったい何をやっているんだろう、とうんざりした気持ちで思った。


しかしどうしてこんなに経済が苦手なんだろうな?よく考えたら今までの通算のの成績の中で経済が最も悪くてC以外とったことがない。もし経済がなかったら、僕のGPAはかなりあがっているはずだ。数学と同じようなものなんだろうな、と思う。よく考えてみたら高校の時だって数Aのテストで45点以上とったことがなかった(もっとも、そのテストの平均点は毎回30点台だったけれど)。


 さてまあそんな話はおいておいて、要するに経済は苦手なのだ、宿命的ともいえるくらい。そんな自己嫌悪におちいった僕だったけれど、良いニュースもあった。翌日の金曜(つまり今日)に予定されていたEUⅠのテストが延期になったのだ。どうしてかというと、ブリュッセル地区で大規模な交通ストが予定されていて、生徒が学校に来られないということがわかったからだ。メトロもバスもトラムも24時間完全にストップしてしまう。


ヨーロッパは労働組合の力が強いときいていたけれど、まさか実際に経験することになるとは思わなかった。そんなストははじめてだ。日本では最近まずストなんて見かけないからね。ともかく、テストはないので秋休みが一日早くはじまることになり、みんなうきうきしながら帰っていった。

今日(金曜)、本当にストでメトロがとまっているかと思って好奇心から駅に行ってみたら、意外にも何人かの人がメトロを待っていた。あれ、ストは回避されたのかなと思ったけれど、やっぱりメトロは走っていなくて、待っている人たちは本当に知らない人か、ただ面白半分に待っている暇人、という感じだった。


学校に行く必要はなかったけれど、久しぶりに晴れて気持ちがよかったので歩いて学校まで行ってみることにした。


 

久しぶりの晴天だった。ベルギーではこの季節はすでに寒く、くもりがちの日が多いのだが、今日は見事に晴れて風もなく、ぽかぽかと暖かかった。紅葉もちょうど見ごろだ。結局アルデンヌ地方に紅葉を見にいくことはできなさそうだけれど、まあしかたがない。僕らはここに勉強しにきているのだから。それに明日からはスペインにいくのだ。


スペイン。10日間もある秋休みにはどこか遠くへ行きたかったが、寒いところは嫌だったのでこの太陽にあふれた南国を選んだのだ。結局その程度の理由しかないし、スペインについて何を知っているわけでもない。言葉も知らないし、歴史もあまり知らない。でも、スペインに行こうと決めてしまうと、すぐに飛行機のチケットを取ってしまった。



学校の中庭にあるベンチに座ってしばらくのあいだぼんやりする。木々は美しく紅葉していて、たまった落ち葉を踏むとかさかさと乾いた音がする。学校には人がほとんどいない。今日がストだからかもしれない。明日からスペインに行くなんて信じられなかった。



家に帰って荷造りをする。そして、何だか落ち着かない気分で一日の残りを過ごした。

ピレネーを越えて

僕は去年、つまり2004年の後半にベルギーに留学していて、

その時はいい機会だと思ったのでヨーロッパあちこち行ってみた。

スペインもその一つである。ここには、長い秋休みの時に

行った。


僕は田舎の出身なので、海外に出ていろいろ経験することに

ずっと憧れていたのだけれど、まさか学生のうちにそれが

実現することになるとは思わなかったな。


僕は中学校の時はわりとまじめだったので、生徒会なんかに

入ったりしていた。っても全校生徒100人くらいしか

いないような小さな学校なんだから、いばることでもない。


文化祭をもっと面白くしようというのが当時の生徒会のテーマだった。

そこで、僕らの代から喫茶店をはじめたり、いろいろプログラムに

工夫を凝らしたりして、楽しくしようと生真面目に頑張った。


生徒だけじゃなくて、一つくらいは教員を入れたプログラムも

入れようということになって、校長先生に簡単な講演を依頼した。

彼は快く引き受けてくれた。


彼の講演のタイトルは「ピレネーを越えて」だった。

自分はまだ一度もヨーロッパに行ったことはないが、若いとき

からずっと、スペインからピレネーを越えてフランスへ、

そしてアルプス山脈までをバイクで走ってみたいという夢が

あるのだ、と、細かいところはすっかり忘れてしまったがだいたい

そのような話を、校長先生は語った。


中学生だった僕には、ヨーロッパなんて未知のもので、校長先生が

言った「ピレネー」という単語がやけに魅惑的に耳に残った


まさかそれから5年後に、実際にピレネーを越えて-といっても

飛行機でだけど-スペインに行くことになるとは全く

思いもしなかった。人生わからんものだね。


そのときの話を、そのときの日記を元に書き起こしてのせていこうと

思います。


 


 


 


 


 

こんにちは。

どうも、アメブロユーザーの皆様こんにちは。koroです。

今までgooのほうでブログ やらせてもらってましたが、今回

ふと思い立って自分の今までの旅での出来事などを適当に

つらつらと書くためにアメブロにもブログ開設することに

しました。今までのブログも続けて行きますんで、

暇があったら見てください。


ということで皆さんよろしく。

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