koroのいきあたりばっ旅:アメリカ大陸横断編 -2ページ目

シンガポールに到着。そしてさっそくハプニング!?

クアラ・ルンプールを出たバスは一路南へと向かう。


クアラルンプールを出てしばらくのあいだは、景色にあまり変化はない。見渡す限りパーム・ツリーとゴムの木だ。そしてたまに熱帯雨林のようなものが見られる。マレー半島には意外に緑が多いと気がつく。


12時半くらいにどこかわからない小さなレストランで昼食休憩となった。各自適当に店の中に入ってご飯を簡単に食べる。僕はチキンライスを食べた。チキンライスって、東南アジアどこにいっても食べられるらしいけど、素朴においしくて僕は好きだ。たいていは蒸しチキンかローストチキンとご飯、簡単なつけあわせの野菜、それに鶏がらのスープがついている。このスープもけっこうおいしいのだ。日本の味噌汁のような感じでみんな飲んでいる。


その後もバスは走り続け、2時くらいにジョホール・バールに着く。マレーシア最南端の町だ。ここは華人が多いのか、街のほとんどの通りに中国語の看板(○○有限公司)が出ていた。ここで一旦降りて出国手続きをし、コーズウェイを渡ってついにシンガポールに入る。


シンガポールは一見マレーシアとあまり変わらないように見えるが、道路標識が全て英語なのに気がつく。さっきまで街を歩いていたような、スカーフを頭にかぶった女の人はほとんどみかけなくなり、かわって中国系の人が増える。違う国に入ったのだなぁと実感する。


そしてバスは市内へ入っていく。噂どおりなかなかきれいで住みやすそうな町に見える。どこかわからないところでバスを降りる。ここが終点なのだ。


さて、と僕は思った。これからホテルを探さなくてはならないのだけれど、困ったことに市内がどちらの方角なのかもわからない。僕の旅はいつもいきあたりばったりで、だからこそこのブログのタイトルを「ばっ旅」にしたわけだけれど、今回はシンガポールのガイドブックもないのだ。いつものいきあたりばったり旅である。


とりあえずなんとかなるさ、と思ってまずは近くにあった両替所でお金を40USドル分両替する。これでいざとなってもタクシーに乗ればいいや、と思って安心しつつがたがたスーツケースをひきずって歩いていると、変な男の人に声をかけられた。


「ちょっとちょっと君」と言われたので振り返ると、20代後半か30代前半くらいの男が立っていた。「どこにいくんだ?」と英語できかれたので「ホテルを探しているんです」と答えると、男は僕の外見を見て、「どこから来たのか?」と言うので日本からだ、と答えると、彼はホテルを探しているのならば近くに良いホテルを知っているから来ないか、と言う。


外国で知らない人に声をかけられたらまず信用するべきではないというのは旅行者の鉄則だ。彼は身なりもちゃんとしていたし、よい人そうに見えたけれど、どうもうさんくさいので最初は断っていたのだ。でも彼はけっこうしつこく僕を誘い、僕もだんだん面倒くさくなってきて、すぐ近くだというのでそこまで車で送ってもらうことにした。


「大丈夫さ、僕はこのすぐ近くの建築会社に勤めていてね、ここらへんのことはとてもよく知っているのさ。それに、そこの主人は僕の知り合いだから、僕が頼んで安くしてもらうように交渉してあげるよ」と彼は言った。


うーん、なんだか必要以上に親切だし、どうも信用がおけんなぁと僕は思ったけれど、もし彼の言っていることが本当だったらホテルを探す手間が省けるのでいいか、と思って黙っていた。


少し走ってすぐにそのペナン・ホテルというところについた。外見をすばやくチェックしてみると、ごく普通のやや小さめだが清潔そうなホテルだったので大丈夫だろうととりあえず安心した。


フロントで彼(名前はジョーダンだと彼は名乗った)は女主人と何か話していたのだけれど、それを見ていると僕はだんだんいらいらしてきた。確かにホテルを見つけてもらったのはありがたいけれど、僕は自分のペースでことをすすめるのが好きなのだ。


しかし彼はさっさと部屋の鍵を持って先にたって進み、部屋まで案内してくれた。部屋は清潔で、まぁまぁ広くて、良いと思った。「どうだい?気に入ったかい?」とジョーダンは言った。彼が勝手に決めた部屋というのがちょっと気になったけれど、部屋はよかったのでその部屋にすることにする。


フロントに戻ってその部屋にする、ということを伝えると彼らは中国語で会話しはじめた。僕にはよくわからず、もしかしてこの女主人とこいつはグルなんじゃないか、もしかしてこのあと部屋に侵入されて気がついたら身包みはがされて・・・なんてことになるんじゃないか、と僕は疑っていた。しかし、シンガポールはけっこう安全な国だときいているから、まさかそんなこともないだろうな、いや、でもわからんぞ、と僕は不安を募らせていた。


そんなこととは露知らず(だろうね)、ジョーダンはにこにこと笑ったまま、「さ、これがルームキー。お金は出るときに僕の名前を言うと安くなるようにいっておいたから」と言った。それは、まぁありがたい。


僕はさっさと彼に引き下がってもらいたかったのだけれど、彼は「じゃあ、荷物をおいてきたら?」と言う。そんなことあんたに言われなくたって行くさ、と思って、早く彼には消えてほしかったのだけれど、彼はそのまま僕について部屋まで荷物を運ぶのを手伝ってくれた・・・僕はそんなことしてくれなんて頼んでもいなかったのだけれど。


僕はどうもこの男に本質的なうさんくささを感じ始めていた。たしかにぱっと見た限りではいい人に見える。しかし彼の笑い方やしぐさがなんとなくそわそわしていて不自然に見えるのだ。僕は部屋に荷物を置いたが、いきなりドアを閉められたりしないように彼の行動に注意を払っていた。


と、彼はポケットから歯ブラシセットを出して(それはバスルームにおいてあるものとまったく同じものだったのだけれど)、「もうひとつ持ってきてあげた。何かに使えるでしょう?」と彼は笑って言ってそれを置いていった。それを見て僕は「うげー!!」と思った。


こいつは・・・・もしかして、もしかして、・・・・ゲイ??なんじゃないのか?と僕は直感的に思ったのだ。今置いた歯ブラシセットは俺と、もしかしてあんたの分なんじゃないのか?だって俺ひとつだけでいいし、普通そんなもの他人にあげないべ?


うわーそういう手の人だったのか。まいったね。その手の人にこんなに直接的な誘いを受けたことは初めてだぞ。そして、彼は「ではまたあとで、夕食を食べるときにまた迎えに来るから」と言って、こちらが失礼にならない程度に断ろうとしていたのに全然ききいれず、6時半に来るから、と言って帰っていった。


彼が去っていってしまったあと、僕はとても不快な気分になって宿の女主人に事情を説明して彼の電話番号を教えてもらい、彼に電話して「誘いはありがたいが、僕は1人で物事を進めるのがすきなんだ。ありがとう」と言って夕食の誘いを断った。


あとで女主人にきくと、ジョーダンとは前に一度だけ仕事で会っていたが(彼は下水道の工事をしたりする人らしい)、特に親しいわけではないのだという。やっぱり。。。あいつ、いかにも親しいような顔つきで話していたけれど・・・しかも、「ここの主人は僕の知り合いだから、僕が金を払っておくよ」、なんて言っていたけれど、主人にきくと「金はもらっていない」ということなので自分で払った。


まあそういうことだ。やはり、知らない街で親切にしてくる人はあまり信用しないほうがいいみたいだね。やっぱり下心あり、ってことが証明されました。


しかし、彼が本当にゲイだったとしたら、俺、けっこうやばい状況にオチイッっていたのかもしれぬ・・・。

マレーシア最後の日々と再開のお知らせ

みなさんご無沙汰してました。koroです。


マレーシアから帰ってきて、それからしばらく勉強に追われ、そしてアメリカ横断旅行にもでかけ、なんだかんだと忙しい日々を送ってしまっていたので、一ヶ月近くもブログの更新をさぼっていました。


というかあんまり文章を書く気分でもなかったので、なかなか更新することができなかったんすけど、何人かの人から「更新待ってるよ」というようなことも言われまして、あぁそんなに待ってくれている人がいるんだったら再開しようかなぁと思って、また再開します。お待たせいたしました。そしてこれからもぜひぜひ応援よろしくお願いします。


とりあえず、マレーシア最後の日々のことを書いておきます。


2005年7月25日
今日で、KL滞在も最後の日となった。全くもって信じられない。もっと長いあいだいて、この国の奥深くをもっと見たかった。しかし、まぁこれはなんだかんだ言ってもしょうがない。マレーシアという国は個人的には初めて来たアジアの国であるし、楽しかった。そしてそれと同時にこの多民族社会の抱える問題点を考えると、学術的興味をかきたてられる。何にしても印象の深い国だった。


今日は朝起きて勉強し、それから学校に行ってヘン教授と会う。終わったあと1人でご飯を食べる。インド・カレーとナンとフライド・チキンが非常においしく、全部で4.5リンギット。安いよなぁ。


帰って勉強しようかとも思ったのだが急にめんどうくさくなってきて、晴れていたので滞在しているコンドミニアムにあるプールに行って泳いだ。少しだけ泳いで、プールサイドに寝転がってロバート・カプランという人が書いたThe Ends of the Earthという本を読んだ。題材と文章がなかなか面白い。俺、ここで何やってるんだろと一瞬だけ思う。


プールから上がって、スタバに行く。スタバの店員とも仲良くなったのに別れるのはとても残念である。夜はコリン、K氏、タイラーのマレーシアで勉強した仲間達と一緒にとご飯を食べ、みんなにお別れを言って寝る。


7月26日

朝7時半くらいに目が覚める。いつものように起きてすぐはぼおっとしてしまう。これでKLの景色も見納めかぁとしばらく感慨にふける。シャワーを浴び、パッキングして8時半くらいにでかける。K氏が見送ってくれた(コリンはすでに出かけていた)。なんか、俺、あんま別れのときに感動の涙、とかっていう三流ドラマみたいなの好きじゃないけど、なんとなくさびしかったなぁ。


がたがた重いスーツケースをひきずって駅まで歩き、そこからチャイナタウンの近くにあるバス停まで行ってシンガポール行きのバスチケットを買う。僕はこれからシンガポールに行って、そこから飛行機でアメリカまで帰るのだ。なんでシンガポールに行くかって?さぁねー。でもマレーシアから近いし、一度は見てみたかったのだ。話によるといいところらしいし。


バス乗り場はどこかとチケット売り場の人にきくと、階段を下りた12番のところ、と教えてくれたので行ってみると三台くらいのバスがあった。どれだか分からないので運転手にきき、自分でもよく確かめてから乗り込む。まだ時間があるせいか、乗っている人は僕だけだった。よく見ると席には番号が振ってある。俺の番号はどれかなと思ってチケットを見ると、座席番号が書いていない。


うーんさっそく困った、と思ってあわてて運転手にきいてみると、運転手はチケットの「S/A」という手書きのところを指差して、「ここだ」と言う。「はぁ?」と思ってききかえすと、「You can sit anywhere」と言われた。そうか、どこにでも座っていいのか・・・しかし、それなら略さないでちゃんと書いてくれよな。S/Aなんて今まで見たこともない。


言われたとおり適当な窓際の席に座って、出発まで時間があったので本を読んでいると、何人か客が乗り込んできた。と、1人の中国系マレー人と思われる女の人が僕の顔をじいいいっと見てくる。うざってぇな、と思いながら顔を上げると、「あなたの席の番号は?」とその人がきいてきたので、「いや、これはどこでも座っていいんでしょう?」と僕は答えた。すると女の人は「いや、そんなことはないわよ。私の席の番号はここ(といって僕の席を指差す)なんだから」という。その人のチケットを見てみると確かに僕の席の番号が書いてある。


「でも、運転手はどこにでも座っていいって言ったよ」と食い下がるが、前の席にいた男の人が「チケットには番号が書いてあるはずだからそれを守らなくてはだめだよ」というようなことを言って、僕はしかたなく隣の席に移った。不安になったのでもう一度バスの外に出て行き先を確認してみるが、やはり「ジョホール・バール経由シンガポール行き」になっている。まぁこれでいいんだろーな、と納得して、どうせいきあたりばったりの旅だし、まぁなんとかなるだろうと思ってそのままバスに乗る。


9時半に出るはずだったバスは、10時くらいになってシンガポールへ向けて出発した。(続く)

クアラ・ルンプールのインド人街

7月23日(土)。


何だかんだとやっているうちにマレーシアでの3週間の授業も終わってしまって、なんとなく空っぽな気分。


しかし、今まで忙しくてあまりクアラルンプール市内の観光ができなかったので、帰る前にいろいろ見ておこうと思って、昼くらいからすさまじく騒がしい3人のアメリカ人の最強女軍団と僕ともう1人のアメリカ人の男の子で、国立モスクを見に出かける。


素晴らしい天気だ。そして暑い。電車に乗ってKL中心部に入り、まずはモスクを見る。なかなかすごいものだなと思う。独特のモザイク模様とミナレットが印象的だった。


そして隣のイスラム美術館に行く。これはなかなか興味深かった。こうしてじっくり見るとイスラムというのはとても興味深いものだなと改めて思う。特に東南アジアに伝わったイスラムというのはいろいろな形をとっている。アラブ的じゃないものがある。例えばマレーシアの田舎にあるという木で出来たモスクなんていうのは、見ても全然モスクに見えない。村の公会堂みたいなもんに見える。


そんなこんなで、なかなか楽しく時をすごす。


それからインド人街まで歩いた。僕はインドには行ったことないからなんともいえないけど、マレーシアにはインド系の人も多いので、インド人街には本物のインドっぽい雰囲気が漂っている。


インド人街は土曜日に行くととても面白いところである。歩行者天国になってさまざまなものがごちゃまぜになって売られているからである。


織物、食べ物、宝石や小物、バッグ、怪しげな薬、その他何を売っているのか全くわからない謎の店まである。そして本物のインドのように(ったって行ったことないけど)値段は安い。


果物も売っている。ランブータンが2キロで5リンギット(150円くらい)。ドラゴン・フルーツというのもある。これは写真を撮ればよかったと思うのだけれど、なんか本当にドラゴンの卵みたいな形をしている。味はまぁまぁ。ちょっとキウイフルーツに似ている。


そこかしこで屋台が出ていておいしそうなものを売っている。僕はおなかがすいたので屋台でなんなのかよくわからないものを買って食べた。魚のボールみたいなのが串にささって売られているのだけれど、まぁなかなかおいしかった。これが1リンギット(30円)。まあ安い。


ところで、アメリカ人の女の子たち、すさまじい買い物の仕方である。一つの店に入って出てきたかと思うとすぐ次の店に入ってああでもないこうでもないとぐだぐだぐだぐだぐだ語り合っている。


1人の女の子など、「値引きしなよ」と、ほとんどすごんでいる。店の方もまぁ外国人だからと倍くらいの値段でふっかけているのだろうが、それにしてもこの迫力には負ける。ほんとにすげーんだから。


まぁなんちゅうか、これは普通の男にはついていけんのじゃないかなー。わしともう1人の男の子、退屈してしまってずうっとぼおーっと話したり何かを適当に眺めたりしていた。


ところで、女の子って買い物のとき男の意見ってほとんど参考にしないで女友達の意見を尊重する傾向にあるみたいだけど、これは何でですかね?


僕が「こっちのほうが似合うんじゃない」と言っても、隣の女の子が「いや、私はこっちのほうが好きだな」と言うと、そちらを選ぶ。んー。まぁ別に俺のセンス信用しなくてもいいんだけどさ。これは割とどこの国の女子でも同じ。僕の数少ない海外経験により発見したユニバーサルな傾向である。


まぁ、そんなこんなでぐったり疲れて(なんちゅーか、説明のできない消耗の仕方やねぇ)帰ってくる。帰ってくるとK氏がすでにパーティーの準備をしている。今夜はパスタ・パーティーなのだ。僕も手伝ってパスタを大量に作り、みんなで食べる。お酒が入ってみんな盛り上がり、最後は6人くらいでずっと朝まで騒いでいたけれど僕は最後には疲れたのと飲みすぎたのとで眠さに勝てず、4時半くらいに寝た。

あるタクシー・ドライバーの話

7月17日にタマン・ナガラから帰ってくる。


この日は朝食を食べ、来たときと同じようにボートで二時間川をくだり、そこからバスに乗ってクアラルンプールまで帰ってくる。


4日前に見たドリアン売りのおじさんはまだ同じ格好で寝ていた。彼の周りだけ、時がとまってしまっているかのように見えた。


そしてまたクアラ・ルンプールでの生活が再開されたわけ。まーつまりはまた勉強の日々に戻ったってことなんですけどね。


ところで僕らが泊まっているのはPWTC(プトラ・ワールドトレードセンターの略)のすぐ前のヴィラ・プトリというコンドミニアムなのだけれど、PWTCではこの週にUMNO(マレーシアの連立与党、アムノと読む。まぁ自民党みたいなもんですな)の年次総大会が行われていて、道は混むし警官が多くてなんとなくぴりぴりした雰囲気が漂っているし、近くの店にはUMNO関係者と思われる人々が大量にいてうるさいことこのうえない。タマン・ナガラのジャングルから帰ってきてすぐにそういう光景を見るとなんだか頭が混乱する。


外国人にとっては別にマレーシアの政党が何をしていたって直接の関係はないけれど、困るのはタクシーがなかなか捕まらないことだ。特に党大会中に夕方5時から8時くらいまでのあいだにPWTCからのタクシーを見つけるのは至難の業である。


例えば僕らは火曜日に少し離れたところまで夕方行かなくてはならなかったのだけれど、このときはタクシーを捕まえるのに1時間近くもタクシー乗り場に並んだ。僕は非常に短気で(じいちゃんからの遺伝)、並んだりするのはとても嫌いな人なので(5人以上並んでいるところには基本的に並ばない)、このときの気分は最悪だった。あんまり思い出したくない。


そんな魔の火曜日でも、止まってくれる親切なタクシーもいた。僕らはやっとそのタクシーに乗り込んで一息ついた。


「今はUMNOの党大会だからなかなかタクシーも捕まらなくてねぇ」と僕らが苦笑しながら言うと、タクシーの運ちゃんは「そうだよねぇ。まぁ俺なんかは逆にここに来れば人がよく捕まるって知ってるから来るけどさ、他のタクシー渋滞が嫌だからあんま来ないものな」と言った。


それから話はマレーシアの政治の話になる。「だいたいアムノが悪いんだよ。これだけのでかい年次総会やるのにどれだけ金使ってるか知ってるかい?ひどいもんだよ。俺らがこうやってあくせく働いて払った税金をああやってでかいパーティー開くために使ってるんだからさ」


ちょうど車がKL郊外の高級住宅街を通りかかった。「みてごらん、あれが副首相の家だよ」と彼は言って、一つの大きなでかい家を指差す。いかにも金持ちが住んでいそうな巨大な家である。「あんなでっかい家に住みやがって。ふざけてるよ。庶民の生活を考えてないよね、やつらは」なかなか辛辣な批判である。


「あなたはどの政党に投票しているのですか?」と尋ねてみると、「PASだよ。PAS以外には投票しないね」と彼は言った。PASというのはマレーシアのイスラム政党で、どちらかというと過激なイスラム国家樹立を目標としている政党で、連立政権には参加していない。


「俺の生まれ故郷は東海岸のクラレンタン州でね、PASは今その州でしか政治を担っていないけどね」その事実は授業で習った。マレーシア東海岸(特にクラレンタンとトレガンヌ州)はほとんどがイスラム教徒で、そのためPAS支持者が多い。どちらかというとアムノはマレー人(=イスラム教徒)の支持を集めているが、アムノに反対するマレー人もいるんだなぁと実感した。


運転手は自分の生まれ故郷の話をする。

「俺が生まれた村ではね、海亀の産卵が見られるんだ。特に今年の8月は多いと思うよ。産卵の時期なんだ。きみたち海亀の産卵見たことあるかい?」

僕らは首を振る。

「あれはね、なんというかとても素晴らしい光景だよ。俺は子供のときによく見たけどね。最近は観光地化されたところも多くて、昔ほどは見られないけどね。」


「行って見たいですね」と僕は言う。「ぜひ行ったほうがいいよ」と運ちゃんは言う。


彼はさらに海亀の話を続ける。子供のときにね、親とはぐれてしまった一匹の海亀をもらって育てていたんだ。大事にしてね、かわいがっていたんだけど、ある日政府の役人と水族館の飼育係が来て、海亀を保護して育てたいので預からせてくれないか、と言ってきたんだ。俺はもちろん嫌だと言ったんだけどね、結局手放してしまった。あれは今思い出しても悲しいよ。元気にしているといいんだけどね・・・


彼のそんな話をきいていると、僕にも彼の生まれ育ったというマレーシア東海岸の美しい海岸の景色が見えるような気がした。自分の生まれ故郷の話をしている運転手はとても楽しそうだった。今にもこの車でクラレンタンまで走り出しそうな勢いだった。なんだかよくわからないけど、久しぶりに心が和むタクシーだった。

タマン・ナガラ-川で遊ぶのだ!-

7月16日

今日は、昨日とほぼ同じくらいの時間に起きてシャワーを浴び、朝食を食べる。またまたたっぷりと食べる。


10時に集合して、昨日乗ったのよりずっと小さいボートに乗って支流を上っていく。昨日に比べてずっと雲が多く、ボートに乗っていると肌寒いくらいだったが、今日はこれからここの上流にあるで泳ぐことになっているのだ。


本流は泥水だったけれど、この支流は川幅も狭く、水は澄んでいる。川は本流よりずっと小さく、ところどころ倒木で阻まれたり、浅くて通り抜けるのが困難なところもあったけれど、とても面白い流れだ。時々鳥が飛んでいく。ジャングルにいるような、色の鮮やかな鳥である。


30分くらいで着く。そこから歩いて10分ほどのところに滝はある。滝といってもたいした滝じゃなくて、せいぜい段差の大きい川だ。しかし深くなっていて、泳ぐのには面白い場所である。


僕は泳ぐのが好きなのでどぼーんと飛び込んだ。視界は悪かったけれど、なかなか悪くない。みんなでぐだぐだと泳ぎまくり、元海兵隊の学生が「うぉおおーーっ」と叫びながらアクロバティックに川に飛び込んだりして、楽しかった。


しばらくみんなで遊んでから、帰ることになる。泳ぐのはいいけれど、何しろ途中で小雨が降り出して、あまりいい気分ではない。


川沿いの道なので、ヒルがいるかと思ってずっと警戒していたが、出なかった。


と思ったら、帰りのボートの中で、イガという女の子が「ひゃああっ!」と叫んだので何かと思って振り向くと、「ヒルがくっついてる!(leech is on me!)」と彼女は言った。


見ると確かに足首にごく小さなヒルがくっついている。イガはすかさずを取り出して、ヒルにふりかけた。と、ヒルはすぐに落ちた。うーむ、、なかなかの威力である。必殺とはこのことを言うのだろう。


戻って、ご飯を食べる。シャワーを浴びた人もいたけれど、このあともラピッドシューティングというボートに乗る遊びがあって、たぶん濡れるだろうなと思ったので浴びなかった。


ラピッドシューティングというのはどういうものか全くわからなかったのだけれど、僕らのグループは3つに分かれてやや小さめのボートに乗りこむ。僕は先頭のグループに入る。


船頭が「ライフセーバーを付けろ」と言うので言われたとおりにつける。「どれくらい濡れたいか?」と船頭がきいたけれど、一緒に乗っていた女の子は「少しだけ」と答えた。船頭はにやりと笑って「少しね」と言った。


まずは何の変哲もない川の流れを少しさかのぼる。と、近くに同じようなラピッドシューティングのグループがやってきた。彼らは笑って手を振っていたので、こちらも日本人お得意の微笑をかましつつ挨拶しようと思って手をあげると、


「ばしゃーーーーっ!」


・・・な、なんとヤツら、水をぶっかけてきたっ!こちらはそんなこと予想もしてないから見事にずぶぬれじゃーないか!(といっても水着みたいな格好だからいいんだけどさ)やつらは笑って去っていく。


おのれー。武士の情けもない卑怯なやつらじゃー。というかオイ船頭、お前笑ってるが、ルールくらい教えてくれたっていいじゃないか?


ゲームのルールを屈辱を持って知った僕らは、他のグループの人たちが来ると「ばしゃーーっ」と同じように水をぶっかけてやった。へへへへーっ、ざまーみろ。


そしてボートはスピードを上げて進む。ラピッドシューティングの楽しみは、人に水をぶっかけるだけじゃなくて、急流をすごい勢いでさかのぼるところもかなりエキサイティングだ。


そして全身かわうそなみにずぶぬれになって帰る。風があるので、意外に寒い。「少しだけしか濡れなかったろう?」と船頭は言って笑っていた。どこがじゃい。まぁ楽しかったからいいんだけどさ。


「さて、帰って暖かいシャワーでも浴びましょう」と、ずぶぬれになって髪の毛がぼさぼさになってしまっているヘン教授が言う。「教授、僕らのところには冷水シャワーしかないんですよ」と誰かが的確に指摘する。「教授のコテージには暖かいシャワーがあるんですか?ずるいなぁ」と誰かが言って、僕らは笑う。


明らかに、乾いている時間より濡れている時間のほうが多い一日だった。

オラン・アスリの村で

(続き)疲れきってジャングルから帰り、昼食を食べる。ガーリックライスとチキンなどなどで、とてもうまかった。


少しだけクラスの続きみたいなことをして、それから戻ってシャワーを浴びる。このときほど冷水シャワーが心地よく感じたことはない。


しばらく休んで、5時くらいに今度はボートに乗って少し上流に行ったところにある、オラン・アスリの村に行く。


オラン・アスリというのはマレーシア原住民のことで、マレーシア半島部のジャングルに住んでいる。現在ではマレーシア政府の同化政策などによって保護区に移動してしまった部族が多いが、この国立公園の中には政府の政策を嫌ってなお昔のままの生活を続ける部族が住んでいる。今日はその一つに行く。


僕らのほかにイギリス人の夫婦、オーストラリアから来たという韓国人と日本人のカップルと韓国人の女の子が一緒だった。


川をさかのぼって5分ほどで村に着く。オラン・アスリの村はとても小さい。だいたい5個くらいの小さなヤシの葉っぱで覆われた住居があるだけ。


人々はぼろぼろのTシャツ(リンキン・パークのTシャツを着ている人もいた)を着ている。女の人はアフリカの部族にいるようなはっきりした色の服を着ている。


彼らはジャングルの中を移動しながら生活する、昔ながらの森のおきてに従いつつ。部族の中に死者が出ると彼らはその土地を去る。そこには悪い神が住んでいると考えるからだ。そして新しい場所へ移動する。


彼らは手で火をつける方法というのを実践してみてくれた。丸太みたいな木に、紐みたいなものが通るくらいの穴をあけ、そこを一生懸命こすって火をつけるわけだが、木が湿っているからか(さっきまで大雨が降っていたのだ)なかなか火はつかない。


なるほど毎日こうやって大変な思いをして火を起こしているのだなぁ、と僕はカンドーしつつ思ったのだけれど、ある一つの家をのぞいてみたら、何のことはない、彼らはライターと油を使って火をつけていた。何だかんだいってもこういうところは変化していくものらしい。


ようやく火がつく。やはり、すごいもんだな、と思う。


それから吹き矢の実践もしてくれた。とても興味深かった。彼らは週に何度か山に入ってこれでサルを殺して食べるのだという。ここは国立公園の中だから本当はそんなことをしてはいけないのだけれど、彼らは政府に従っていないと主張しているので、そういうことをしてもよいのだ。


また雨が降り始める。僕らはまたボートに乗って帰ることにする。オラン・アスリの村からは煙が昇っている。


夕食は昨日と同じところで昨日と同じようなご飯を食べ、それからヘン教授を含めたみんなでバーに行き、ビールを飲んだ。


部屋に戻る途中、コーランの祈りの声がきこえてきた。こんな人里離れた山の中にもコーランがちゃんと流れるのだ。なんだかすごく不思議な感じがした。


部屋に戻ると、隣が非常にうるさかった。フランス人の若いグループが大人数いて、それでうるさいのだ。同じプログラムのトーマス(39歳独身)は「ふむ、何人かかわいい子がいるな」と言って興味深そうな顔をしていた。


この日は、これで終わりである。

ジャングルの中を歩く

2004年7月15日。タマン・ナガラ2日目。


ゆうべ早く寝たからもっと早く起きるかと思ったけれど、朝7時半くらいに目が覚める。他の人の大半は起きていた。


冷水シャワーを浴びて(凍りつくようだ)朝食を食べに行く。朝食はビュッフェ形式で、チャーハンとか焼きそばみたいなもの、チキンからカレー、パン、パンケーキ、果物までどっさりあって、僕はとてもいっぱい食べてしまった。うまい。朝飯というのはこうでなくてはならない。コーヒーもあった。自分で作るインスタントのネスカフェのコーヒーと同じ味がしたけど。


さて、朝食が終わったら、お決まりの儀式。トイレにでかけるkoro。まずはトイレのドアを開けた瞬間に襲い来る蝶(でかい)。しかしこんなものはまだ序の口である。特に驚きもしない。


さて、みなみなさまが利用しているようで、大のほうは(というか大しかないわけだけど)3つのうち2つがすでにふさがっている。迷わず残りのひとつに向かうワタクシ。だが。


先客がいる。さんだね、きみは?しかも何を食べているのかしらないけれど、えらくでかいじゃないか。


ちくしょー!!蛾と便所をシェアしろってのか!きいてないぞ、そんなことは!


し、しかしもう我慢できないし、他のところは開かないし、ええい、覚悟を決めろっ!蛾よ、動くなよっ!



戦いを終えた僕と、他の学生が集まって、9時半に集合してゆうべと同じガイドの先導で山へでかける。素晴らしい天気だ。今日はジャングル・ウォークなのだ。


山に入っていくとすぐにうっそうとしたジャングルの中に入る。一本一本の木が高い。雨がたくさん降るから、伸びるのだろう。知らんけど。そしてめちゃくちゃ湿気が多い。じっとりと湿っている。暑い。すぐに汗が吹き出る。なんちゅうか、今まであまり経験したことのない暑さだ。虫やヒルが怖いので用心してジーパンをはいてきたのだけれど、つくづく後悔する。汗でべっとり湿ってしまっている。


ジャングルとはいってもトレッキングコースだから一応道は整備されている。とはいえ、やはりジャングル、木が倒れていたりして歩きにくいところもたくさんある。もうほとんど障害物競走みたいなもんだね、これは。


くぇくぇくぇ!!というような鳴き声がびっくりするほど近くでしたのでそちらを見ると、


ひょう!巨大な鳥が木にとまっている。くちばしがすっとでかくてよく目立つ鳥だ。しばらくじっと見ていると、わしっわしっわしっという大きな音を立てながら飛び立っていってしまった。


ガイドが、「あれはあまり見られない鳥だ。あんたたち、ラッキーね」と言った。


「ジャングルの中にはいろいろな動物がいるけれども、それが見られるかどうかは運次第です。観光客の中にはお金を余計に払うからタイガーが見られるところに連れていってくれ、ということを言う人もいるけれど、それはいけないことです。2年前に、道を外れて象の通り道を通ってしまった観光客が子供の象に踏まれて背中に2週間の怪我を負いました。ジャングルの中では見られないものを期待してはだめです」とガイドは言った。森には森のきまりがあるのだ。


それからまたさらにジャングルの奥深くへ進入する。1時間ばかり上ったところで、キャノピーの道になる。どういうものかというと、空中を歩くのだ。木と木の間つり橋みたいなものがあって、そこを歩きながら上へと登っていくのだ。つり橋とは言っても、道幅は狭く、しかもけっこう揺れるので怖い。慣れてしまえば大丈夫だけれど。


ここから眺める景色はなかなかのものだった。


そこを過ぎると、本格的な急斜面になる。ヘン教授は「がんばってね。ここからが大変だから。私は準備があるから帰るけれど」と言って無責任に帰っていく。残された僕らはガイドとともにとぼとぼと登山を再開する。


しかし、ジャングルの中は想像以上にうるさいところだ。うるさいというのではないけれど、なんちゅうか、音がたくさんする。鳥、セミ、そのほか僕には全く想像のつかない生き物の鳴き声。


ようやく小高い丘の頂上に着く。もちろん本物の頂上はもっと先にあるのだけれど、時間の関係でここまでである。なかなかよい景色だ。


と、後ろで突然アマンダ(クラスの女の子)が「いたっ!」と叫んだ。どうやらアブか何かにさされたらしい。手を見てみると確かに少し腫れている。この程度ならたぶんほうっておいても大丈夫だろうと思ったけれど、彼女は「Oh my god! I don’t wanna die!」と大げさにわめくので、僕が持っていた日本のムヒを貸してあげた。


するとすぐに効いたようで、「あーなんだかもう効いてきた気がするわ。ありがとう、これよく効くわね」と言った。ふふふ。ムヒ。日本が生んだ素晴らしい商品。


そこから下山する。


下りに関してはあまり書くべきことはないが、一度中くらいの大きさのヘビがするするする!とヘビにあるまじき速度で横切っていったのにはびっくりした。(続く)

ジャングル体験記

えー、定期的に見てくれている人たちへ。今週末はタマン・ナガラ国立公園に泊りがけででかけていたので更新できませんでした、すみません。


しかし、面白かったっ!熱帯雨林!というかジャングル暑い。まじで暑い。いろんな意味で暑かった。なので、そのことを書いてみます。


2005年7月14日。


今日はめずらしく寝坊してしまい、ばたばたと支度してぼんやりした頭のままで荷物を抱えてバスに乗る。


今日は朝もはよからクラス全員でバスに乗り、KLの北東200キロくらいのところにあるタマン・ナガラ国立公園に行くのだ。高速道路にのってずしずしと進み、高速道路を降りてそれからさらに進む。辺りはパーム・ツリーばかりで、人といえばドリアン売りのおじさん(寝転がっている)くらいしかいない。マレーシアの、だいぶディープなところになってきたなぁという感じである。

ドリアン

途中で小さな町に止まり昼飯を食べる。いかにも田舎と言う感じの町で、英語はあんまり通じない。町の中心にあるマーケットでは果物を売っている。ドリアンがたくさん山盛りになって売られている。住人のほとんどはマレー人か中国人だ。小さな食堂でカレーヌードル(意外にうまかった)を食べて、少し散歩してバスに乗って30分くらいしてようやくタマン・ナガラ国立公園の入り口に到着する。


ここからは、川をさかのぼっていくのだ。20人乗りくらいの船、というかボートというか、小さな船だ。これにエンジン(ヤマハのエンジン)がついていて、ばばばば・・・・と音を立てながら進む。バイクと同じくらいの速度だろうと思う。


暑い日で、風が気持ちよかった。川は泥水でにごっている。なかなか気持ちよいけれど、2時間もかかるので退屈して見事に寝てしまう。しかし、進むうちに川幅がだんだん狭くなり、ジャングル特有のおいしげった木々と、すっくと高く伸びた木々が目立つようになってくる。いよいよ熱帯雨林に入ってきたのだ。


4時近くなってようやく到着した。ここが一応タマン・ナガラ散策の中心となる場所で、ビジターセンターやレストラン、バーなどもある。立派なコテージもあるけれど、僕らはホステルに泊まる(このプログラムの担当教授だけはコテージに泊まる)。


男と女に分かれて部屋(ドミトリー)に入る。ベッドだけしかない(椅子はない)非常に簡素なドミトリーだ。シャワーを浴びようと思ったが、水だけしか出ない。しかも、このクソ暑いのに見事に冷たい(冷水器、あんのか?)。


そのうえ、マレーシアの多くのトイレと同じようにトイレにはトイレットペーパーがない。そして極めつけに、蝶やら蛾やら蜘蛛やらトカゲやらセミやらがトイレにはたくさんいる。なんてこったい。おちおちクソもできない(実際に、あとで蛾のいるトイレに入ることになる)。


ふむ。なかなかすごいところに来てしまったようだ。しかし奇跡的にもドミトリーにはエアコンがついているのでよしとしよう。


さて、今夜の予定としてはナイトウォークだけしかない。つまりそれまでの3時間近くは暇して過ごさなくてはならないわけなのだ。うだうだしててもしょうがないので、男どもでバーに行こう、ということになる。


そこでさっそくバーに行って、タイガービールを飲む。他にやることもないので、下らない話をしたりまじめな話をしたりテレビを見たりしながら5杯くらいビールを飲んでしまう。ジャングルまで来て、いったい何やってんだか。


そして夕食は川を渡った対岸にあるFamily Restaurantというなかなかシックとは言いがたい名前のレストランでおいしいマレーシア料理を食べる。料理なんてあまり期待していなかったのに意外においしい。まわりにいるのは欧米の観光客ばかりで、アジア人はあまり見かけない。


戻って、ナイトウォークに出かける。べたべたと虫除けスプレーを塗りたくっていく。ここらへんにはleech(ヒル)もいるらしいので気を付けねば。


暗いジャングルの中は、何があるのか全くわからないから少し怖い。人間って、光がないだけでこんなにも恐怖を感じるのか。


ブンブンという名前の木の小屋に登って、あたりを見る。運がよければ夜の動物達が動いているのが見えるらしいのだけれど、残念ながら見られない。なぜかというと、月が明るすぎるからだ。夜行性の動物にとっては光がないほうがありがたい。


そのかわりにいくつか虫を見た。木に化ける虫とか巨大なアリ(これはちょっと気持ち悪かった)、サソリもいた。かつては昆虫博士と呼ばれていた虫好きな僕にとっては非常に面白い体験だった。


ジャングルの中で耳を澄ますといろんな音がきこえてくる。ジャングルはいつでも活動しているのだ。


僕らのガイドはオラン・アスリ(マレーシア原住民)ではないが、彼らとほとんど同じような暮らしをしていたマレー人なのだという。彼は少しだけ日本語を話した(「ニホンジンネ?」「アブナイヨ」)ので、「ここには日本人観光客がよく来るのか?」と質問してみた。「いいや、あまり来ないよ。日本人はジャングル、嫌いみたいね」と言った。


まぁ確かに、あとでわかることだけれど、ここでするアクティビティーというと山を歩いたり、ジャングルを探検したりすることくらいだから、こういうヘビーデューティーなことは欧米(特にヨーロッパ人)の観光客に向いているのだろう。実際に、ここにいた数日間日本人はほとんど見かけず、どこに行ってもヨーロッパ人しかいなかった。


しかし、ここは非常に面白いところだから、せっかくマレーシアに来るならぜひここまで足を伸ばしてほしいと思う。日本語の話せるガイドもいるし。


さて、この日はこれで終わり、バーで再びビールを一杯だけ飲んで、寝ることにする。ベッドには蚊帳みたいなものがあって、これで蚊をよけながら寝るのだ。うーむすごい。


ところで寝る前に同じプログラムのK氏(日本人)はバクテリア除けスプレーを部屋の中に噴射していた。うわっ!なんじゃそれ。バクテリア除け??「これでバクテリア死ぬよ」と彼は言ったけれど、うむ、必要なのだろうか??虫除けスプレーならわかるけどね。ま、いいや。おやすみ。寝る。続きはまた明日。

クアラ・ルンプールのタクシー事情

クアラ・ルンプールではタクシーが人々の重要な交通手段となっている。


他の東南アジアの国の街と比べても公共交通機関は発達しているほうだと思うが、地下鉄は乗り換えるたびにチケットを買いなおさなくてはならないし(これは確かにめんどくさい)、郊外までは地下鉄も走っていない。


そしてなにより、街の中を走っているタクシーの数が多いし、なんといっても安い。日本の3分の一くらいしかかからないのではないかと思う。それが理由なのだろうけれど、観光客だけではなくて、地元の人も利用している率は高い。


しかし、問題はいくつかある。


まず、タクシーのおっちゃんたちは基本的に運転が荒っぽくてけっこうひやひやする。乗って、行き先を告げる。すると黙って頷いて、そのままギャーーーン!!一気に加速


混雑してたってなんのその。ひょいひょいひょいと車の間をぬうようにして、強引に割り込みつつ突っ切っていく。しかもこいつら、シートベルトしてねぇ(してる人もいる)。けっこう多くの数のタクシーのフロントグラスにはシール(お守りなのか?)がべたべた貼ってあって、視界がさえぎられている(日本でこんなことをしたら即逮捕されるだろう)。し、死にたいの?ねぇ、おじさん、死にたいの?俺、乗る車間違えてるかな?


こんなのに最初に乗ったときには、ぎゃーーっ、オラは日本さ帰るだぁーーー、ここで死にたくはねぇーと心の中で叫んでいたけれど、今では慣れてしまった。自分で自分をほめてあげたい。


ちなみに、これはタクシーだけじゃないんだけど、マレーシアのドライバーはあまりクラクションを鳴らさない。日本だと確実にクラクションの嵐だろうと思われるような強引な割り込みをしても、黙って入れてあげている。これは別に寛容なわけではなくて、「ここまではやってよい」というような基準がやや異なっているのだろうと思う。日本と同じ感覚で鳴らしていたら、街中すさまじい騒音になっているだろうから。


それから、中にはお釣りをごまかしたりわざと遠回りしたりして金をかせぐドライバーもいる。こちらが外国人だと見て取ると、「今日はこっちの道のほうが近いよ」なんて言ってわざわざ遠回りして行く。僕は実際にこうしたドライバーにひっかかって、10分のところ25分かかって、普通の倍くらいの料金取られた。


あるいは、降りるときにメーターを操作してお金を水増しする人もいる。僕の友達もこれにひっかかっていた(といっても、日本円にして100円にもならないくらいだけど)。こういうタクシーには注意しなくてはならない。


しかし、もちろんほとんどのタクシー運転手はいい人たちである。道を本当に間違えてしまって、「いいよ、その分のお金はいらないよ」と言ってくれる人もいたし、べらべらと丁寧にクアラルンプールの解説をしてくれる人もいた。地元の人なので、みな基本的には親切な人たちである。


クアラ・ルンプールでは今日もタクシーのおじちゃんたちががんばっているのである。

ヒンドゥーと猿なのだ

7月7日。クアラ・ルンプール郊外のBatu Caveに行く。ここはヒンドゥー教の聖地というかなんつうかそういうところで、まぁ俺にゃよくわかんねーけど、バスで連れていかれるままにクラスみんなでわいわいと行く。

バスでおよそ30分ほど走ったところにそのCave(洞窟)はある。マレー人ガイドが話してくれたところによると、ここはかなり昔に(どれくらい昔かって?覚えてねーよ)ヒンドゥーの人たちの聖地として作られたところらしい。日本で言うと霊場というか、そういうところらしいね。

そこは崖になっているのだけれど、上を見上げて俺はうんざりしたね。だって、長い階段が続いてるの。このクソ暑い中を(気温は33℃)これを歩いて上れっていうのか!俺はいいとして、この明らかに運動不足栄養過多のアメリカ人たちが次々とぶったおれたらどうやって責任とってくれんだ!

というバカなことを考えつつ、アメリカ人とべちゃくちゃくだらないことをしゃべりながら登っていく。

と、俺の目の前をびゃっと横切ったものがある。なっなんだ!?

さ、だっ。猿が跳梁してるっ!

びっくりしたことに、ここは猿がいっぱいいるのだ。なんでもヒンドゥー教では猿は一種の神聖な動物だと考えられているらしく、それが作用したのかしらんが、ここには猿がうんざりするくらいいっぱいいる。

で、おとなしくしてりゃいいんだけど、してないのよねぇ。だって、猿だもん。だからここを歩く観光客はぜひぜひ食べ物、飲み物、持ち歩いちゃだめよ。

この戒めを破ったものは、当然それなりの報いをうけることになる。

ようやく上まで登って、洞窟の中に入る。外は暑いのに、洞窟の中に入ると一気に涼しくなる。空気が揺れる。静かな空気だ。そして重い。ずっと昔からここにある空気なのだ。ちょっと、神聖な感じがする。でもこうやって山とか洞窟とかに霊的なものを感じるっていうのは、東洋的な考え方なのかもしれないな。

というようなことを僕が考えていると、

「うわああああ!!」

という悲鳴がきこえてきた。何が起こったのかと思って見ると、同じプログラムの日本人のK氏が持っていた花が(お供えするために持っていたらしい)猿に奪われてる!

当然なすすべもなく、猿に花を持っていかれるK氏。そして呆然とするK氏。おいしそうに花を食べる猿。猿って、花も食べるんだったのねぇ。

「まぁ、怪我がなくてよかったじゃないですか」と僕は言ってなぐさめる。「うん・・・でも怖いなぁ」というK氏。花でこれなんだから、食べ物なんか持ってたらどうなることやら。

下りの階段の途中で、なんと缶ジュースを飲んでいる猿がいた。おめぇー、人間じゃねえんだからなぁ。でもこの光景は見ていてなかなか面白かった。誰か観光客が持っていたのを盗んだんだろなぁ。何にしても、ここに行く時は猿に気をつけてくだされ。