バルセロナ(1)
2004年10月29日(金)—バルセロナ—
やはり疲れていたのか、イタリア人のバカ声と香水の匂いにもケイトのアラームの音にも気がつかずにぐうぐう寝てしまっていた。
朝食をもそもそ食べながら外を見ると、素晴らしい天気だった。昨日晴れていたから、「スペイン天気の法則」に従うと今日は雨のはずだったが、いい天気なのでよかった。
10時過ぎに、同じく駅に向かうケイトと一緒にチェックアウトしようとしていると、昨夜も顔を合わせたフランス人がレセプションの人となにやら話しているのだが、このフランス人、スペイン語も英語もほとんど全く話せない。僕はかっこいいところを見せようと思って、片言のフランス語で話しかけてみたがまったく通じない。
結局チェックインしようとしていたスペイン人の女の子が僕よりずっと上手なフランス語で通訳してようやく理解できたようだった。
一件落着。しかし、よく思うけれど、海外で旅行するには英語は必須だと思う。自分がそれなりにしゃべれるから言うわけではないけれど、英語さえ話せればいくら海外でもなんとかなるものだ。もっとも僕の友達のMくん はブダペストで英語もフランス語も(もちろん日本語も)理解できない警官に捕まりかけたというが。
旅行をしていると、だいたい英語が話せないのはフランス人、イタリア人、日本人が多い。僕が英語を比較的すらすらしゃべるとみんな驚く。僕も英語が上手なフランス人に会った時は感心した。どうしてこれらの国民が英語を上手に操ることができないのか?けっこう謎である。
それはともかく、てくてく駅まで歩き、ケイトと別れ、バルセロナ行きの電車に乗る。
絵に描いたようにとてつもなくいい天気だ。たっぷり寝たので気分も良い。電車からはオレンジ畑が見え、地中海がきらきら光を反射させているのが見えた。海ってこんなにきれいなものだったんだ、と僕は感動してずっと地中海を眺めていた。
バルセロナには2時少し前に着いた。ホステルまでメトロで向かい、中心地で下りて宿へ入る。日本人が経営しているので日本語の注意書きがあったけれど、受付の愛想の悪い女性は全く日本語を解さなかった。
荷物を置くと、さっそく街に出る。ホテルのすぐ近くがランブラス通りというメイン・ストリートで、土産物屋と大道芸人がわんさといた。いくつか店をのぞいたが、片言の日本語でしつこく話しかけられるのでうんざりし、何も買わなかった。
それはさておき、バルセロナの第一印象はとてもよい。いささか観光地然としていて騒がしいが、活気があってよい。スペインのどこに行っても、ラテン系特有なのかもしれないが、人懐っこく明るい人々の顔を見ていると、この国もまだまだ大丈夫だなと思う。
フランスやベルギーのフランス語圏のような、やや皮肉っぽい顔と態度はあまり見られない、というか皆無だろう。けなしているわけじゃないけどさ。バルセロナは経済も発展しているし、港町だし地理的にもイタリア・フランスに近いからさらに活気があるようだ。
この街には見所も多い。まずランブラス通りを港のほうへ向かって歩くと、コロンブス像がはるか彼方の新大陸を指差してそびえている。港にはたくさんの人がいる。日向ぼっこをしている人もいる。スペイン語をしゃべるカップルがアイスクリームを食べながら歩いている。
そこからメトロでかの有名なサグラダ・ファミリア大聖堂へ行く。何度もテレビなどで見ているが、やはりここは行くべきところだろう。やはりなかなか見ごたえがあり、上からの眺めも素晴らしかった。夕方だったので、大聖堂の影が長く街の中心部まで伸びていた。圧巻。
サグラダ・ファミリア以外にも、この街には天才ガウディが作り出した作品がいくつもある。僕は芸術にそれほど詳しい人間ではないけれど、彼の独特のデザインはとても興味深い。
次に行ったエスパニア広場からは美術館がでーんとそびえているのが見える。このあたりがモンジュイックと呼ばれているところで、1992年のバルセロナ・オリンピックのメイン会場になった地区だ。ここからのバルセロナの街の眺めも良い。
その裏にオリンピック・スタジアムがあって、そこにも行ったが午後6時ですでに閉まっていた。
あきらめて美術館の正面に戻ると、なぜか人が噴水のまわりにあつまっていた。何だろうと思いつつも、僕は坂道を下って行った。
(続く)