koroのいきあたりばっ旅:アメリカ大陸横断編
みなさんいつも読んでくれてありがとうございます。僕の今住んでいるワシントンDCでの出来事をつづったもう一つのブログJapan in 21st Centuryもヨロシクお願いします(ブックマークのところにあります)。
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マウント・ラシュモア

アメリカ内陸部を車で横断したことのある人はわかると思うけど(しかしそんな人って多いのか?)、アメリカ内陸部の道はかなり退屈である。これは何度書いてもいいくらい退屈だ。これから旅に出る予定のある人は退屈さで眠ってしまわないようにかなーりの対策をしていったほうがいいと思います。ちなみにおすすめは「早口言葉選手権」です(笑)


さて、それはともかく、次なる目的地マウントラシュモアにむかってサウスダコタを西へと横切っていくと、だんだんハーレーに乗ったおじさん(なぜかみんな同じ格好をした白人のおっさんである)が増えてくる。


なお、この「みんな同じ格好をした・・・」というのは全然誇張ではない。うまい表現がなかったのでこの日の彼女の日記から一部を引用する。


「だいたいハーレーにのってるおじさんというのは、共通している種類の人々で、白人で50過ぎでちょっと太めでお腹がでてて、ハーレーのTシャツ着てる。この人達は普段何してるんでしょうか?非常に疑問である。」(←正当な疑問だ)ということである。


まぁだいたいそんな感じの人たちだと思ってくださいな。

けっこう陽気で、ガソリンスタンドで会ったりするとにこにこしているけれどね。あつかましくも乗せてもらったりした。ははは。バイク


最初のうちは二人で「すげーさすがアメリカ」「ルート66みたい」なんて言っていたのだけれど、
だんだんうざったくなってくる。なにしろうるさいのだ。ぶぁばばばばばば!と音をたてて追い越していくのは、なんとかしてもらいたい。旅の風情なんて(そんなものがあればの話だけどさ)ぶちこわしである。


しかもバイクの数は西へ向かうにしたがってだんだん増えてくるのだ。どうしたことだろう?こんなに回りじゅう何もないのにどうしてだんだんとバイクの数が増えてくるのか、それはけっこう謎である。まさか大地から湧き出してくるわけでもあるまいに。


そして、昼過ぎにようやくマウントラシュモア近郊の町ラピッドシティに来るのだが、ここでハイウェイを降りると、驚いたことに道を走る車のほとんどがハーレーになっているのだ!


うーん、マウントラシュモアはバイカーの聖地だったんだなぁ。それは知らなかった。ともかく、そんなハーレーだらけの道をしばらく進んで、山道になるとまもなくマウントラシュモアがその姿を現した。ラシュモア


これがその写真だ。一言で言うなら、うーん、壮大!


ワシントン、ルーズベルト、ジェファーソン、リンカーンの顔が横に並んでいる。リンカーンのほくろですら40センチもあるというから、かなり大きなものだ。アメリカってでっかいなーと思う。あんまり意味無いけど。ここにはかなり観光客がたくさんいた。全米各地から人が来ているらしかった。ともかく、ここはなかなかすごい。晴れていたのもよかった。この白い像には、かっと照りつける太陽が必要ですわ。僕より彼女のほうがかなり興奮してみていた。


ラシュモアを後にして、ラピッドシティで軽くご飯を食べることにした。


「デニーズ」に入ったのだが、ロクなものがなかったので、コーラとミニ・チーズバーガー(6個)とスープを頼んだ。僕らはメインのつもりだったのだけれど、あとでメニューを良く見るとアペタイザー(前菜)で驚く。おいおい、チーズバーガー(確かに小さかったけれど、日本だったら確実にこの半分の大きさやね)6個食らった後に一体何をメインで食べるというのだ(笑)


まじで、アメリカ人の胃袋はどうなっているんでしょうかね?

このあともアメリカの食事に驚かされつつ、旅は続く。

久々更新/謎の町Wall

まず最初に・・・


更新遅れすぎてごめんなさい!!


言い訳はしないことにします。怠慢です。サボタージュしまくりでした。しかも、4月中に二回は更新、とか

ほざいていたのにこの有様です。見てくれている人には本当に申し訳ない。まぁでも、気軽に

読んでもらえたら幸いです。本当にたいしたことは書いてありませんから(笑)

んでは、旅の続きをどうぞ・・・



大興奮だったバッドランズ から、Wallの町に出る。


このWallという町だけど、正直に言って来る予定はなかった。ただ、前も書いたようにWall Drugと書かれた看板が、サウスダコタに入ってからずうっとハイウェイ沿いにあったので、面白半分に行ってみることにしたのだ。何があるのかはさっぱりわからなかったけれども。


どうやらWall Drugというのは何かを売っている店であるようなのだが、何を売っているのか、いくと何があるのかよくわからない。何しろ、看板に書かれているのは「Traditional Western Fashion」だとか、「Free Water」なんていうことしか書いていないのだ。


「“無料の水”ってだけじゃぁ、何なのかわかんないよねぇ」などと話しつつ、でもまぁこの広大で退屈なサウスダコタの大地の中では水は貴重なのかもしれないなぁなどと考えて、ともかくもいってみることにした。


Wallというのはとても小さな町である。町に入ってWall Drugの標識どおりに進むと(というかここを訪れる人はほとんどここにしかこないんじゃないだろうかと推測する)、すぐにそのわけのわからないところにつく。


駐車場に車をとめて、とりあえずWall Drug本拠に行ってみると、、、


まぁなんていうか、おみやげ物屋が並ぶショッピングストリートみたいなもんですね。カウボーイハットやらごついベルトやら(誰がこんなもん買うんだろう?)ジーンズ、ブーツ、キーホルダー、銃(もちろん偽物)なんてものがごてごてとおいてあるような店がいっぱい連なっているだけ。どちらかというと「日光江戸村」とか

Wall Drug

「太秦映画村」とか、そんなノリに近い気がする。


↑あんまりいい写真じゃないですが、一応雰囲気を感じてもらえれば・・・・。ちなみにここらへんからバイカーがやたらと増えてきます。なぜかみんなおんなじ格好でバイクに乗っているのが、ちょっとウケます。詳しくは次回書きます。


そんなんだから、店を見るのは早々に切り上げて、その中の一角にあるカフェに入る。そこが、例のfree waterの店で、中に入るとサンドイッチやら普通のハンバーガー(普通の、といったって日本の2倍はあるけども・・・)やらが食べられるようになっている。手作りだというドーナツを買って、なんとコーヒーが5セント(!)だったので即買って、席に座って食べる。


このドーナツは、なかがふんわりしていて外はかりっとしていて、なかなかおいしかった。


アメリカの食べ物は日本人にとってはあまりおいしくないというのは確かにあたっていると僕も思うけど、でも手作りのものがうまいのは世界共通なんすかね。


コーヒーも、5セントのわりには味がしっかりしていた。アメリカの内陸部に入っていくと、カップの底が透けて見えるくらい薄いコーヒーを飲まされることがあるんだけど、でもそんなんじゃなくてわりとおいしい。これでどうやって商売ができるんだろう?なかなか不思議である。この町には永遠にスターバックスなんてできないに違いない。


そんな謎の町、Wallを後にして、次なる目的地、マウントラシュモアを目指す。ここは写真で見たことのある人が多いだろうけれど(僕もそうだ)4人のアメリカ歴代大統領の顔が岩に彫ってあるところだ。そのためにまた無味乾燥したハイウェイに戻って、レッツゴー!!

バッドランズはすごいぞ!

8月9日。


さて、今回の旅、今まで読んでくれた人たちはきっと「なんて面白くない旅をしているんだろうこいつらは」と思ったことだろう。何しろ話に起伏はほとんどないのだ。毎日朝から晩まで走っているだけなのだから。読むほうだっていい加減うんざりするだろうけれど、書くほうだってなかなかしんどい。


しかしそれも今日まで。DCを出発して4日目の今日から、旅はようやくカラフルになってくる。まずは、バッドランズ国立公園のことを書こう。


朝7時過ぎに出発して、見事なくらい荒涼とした大地の中のハイウェイを進む。これがどういうものか、ときかれるとちょっと困ってしまうのだけれど、360度ぐるりと見渡して、草原以外に町も人も牛も山も丘さえもない景色を想像できるだろうか


僕らがその日の朝入っていった場所はそういうところだったのだ。なんだかちょっといらいらしてくるくらい何もない。だが、そんな中、ぽっと遠くに変わった形の山が見えてくる。山というよりは岩に近いが。


「あれがバッドランズなのかな?」と彼女が少し興奮気味に言う。「たぶんね」と僕もなんとなく興奮して言う。二人ともこれまでアメリカ中部の広大さと退屈さにやられてしまっていたのだ。そこに急に火星にも似た奇妙な形の岩山が出現したので二人ともエキサイトしてしまったのだ。


最初にも書いたとおり、この旅は明確な目的や誰かを訪ねようとか決まったルートがあるわけではなくて、きわめていきあたりばったりの旅だった。しかし、あえてこの旅のテーマとしては、なるべく多くの国立公園に行こうということになっていた。


アメリカにはかなり多くの国立公園があり、もちろんその全部をめぐるのは不可能だけれど、日本とは違って広大なこの国では国立公園に行くための手段が限られていることが多い。しかも国立公園だから、交通の便の良い街中にあるはずはない。バスや飛行機があればいいほうだけれど、やっぱりそれも不便だし、見たいところが見れないまま終わってしまうこともある。だから、車は国立公園を巡る上で必須のアイテムなのだ。せっかくアメリカを車で横断するのだから、なるべく多くの国立公園に行ってみようというのが僕らの計画だったのだ。


バッドランズ国立公園の入り口にはゲートがあって、ここでしっかりと入園料がとられる。でも僕らはこれからもいくつもの国立公園に行くことにしていたので、一年間有効のパスを買う。これさえあれば50ドルで一年間アメリカの国立公園には入り放題だ。だいたい3箇所くらい回れば元がとれるので、まぁ安いと言っていいと思う。


国立公園の中に入る。道はこれまでの道とあまり変わらないように見えるけれど、制限速度がぐっと遅くなってだいたい25マイルくらい(40キロくらい)が制限速度になっている。アメリカの国立公園はこういうのが徹底していて、自然を守るという観点から、制限速度を守らないと罰せられる。ここは基本的に人間が来るところではないのだ。


で、このバッドランズ国立公園だけど、とにかく変わった場所だ。大地がぐっと盛り上がって、ギザギザのさまざまな形をした岩がどこまでも続いている。木はほとんど生えていない。生えないのだ。なるほどこれはまさにバッドランズ(荒れた土地)だなと思う。なんだか地球ではないように見える。月の表面ってきっとこんなんだろうなぁと思う。行ったことないけど。


道は岩山のあいだを縫うようにして続いており、途中で駐車場があって歩けるように整備されていたので、そこで車をとめて歩いてみることにする。すげぇーーー、こんな場所があるなんて信じられない。何がすごいって、やっぱり景色が違う。車から眺めたときもなかなかすごいところだと思ったけれど、降りてみるとさらにすごい。


乾いた白い岩がある。ひどく無造作だ。別に何があるわけでもないのに、言葉を無くさせる何かがある。うーむ。アメリカにこんなところがあったなんてなぁ。


けっこう感動してさてハイウェイに戻ろうかというときに、道路わきの平原をごそごそっと動くものがいた。


「プレーリードックだっ!!」


と僕は叫んで、彼女は思わず驚いてブレーキを踏んだ(俺、地声でかいみたいね)。


「本当に?」と彼女は言うけれど、確かにあの小さな生き物は入り口でもらったパンフレットにのっていたプレーリードックに違いない。


そこで車をとめて外に出てもっとよく見てみる。すると、いたいた、すっくと立ち上がって、一応警戒している様子のプレーリードックが。どうやら見知らぬ人間が来たので警戒してbadlands いるようだけど、その警戒している様子がけっこうかわいい。僕は今までプレーリードックがどういう動物かとか知らなかったけど、思ったよりかわいい動物なんね。


ジャンプしているものもいる。さすがに近くに寄るとあわてて穴の中に入ってしまう。でもしばらくこっちがじっとしているとぽこっと顔だけだして「あいつら行っちまったかな」という感じで様子を見るけど、それがキュート。彼女は「かわいいいぃぃ」とずーっと言っていた。


バッドランズ、なかなか面白いですぞ。もし近くを通ることがあればぜひドウゾ。写真は道路わきの展望台から眺めたバッドランズ。奇妙な形の岩がどこまでも続いているのがおわかりいただけるでしょうか?

(続く)

アメリカの心臓部へと?ミネソタからサウスダコタ。

8月8日

アメリカは他民族・多文化社会だと思っている人が多いと思う。これは実は正しくない。


というのも、よくテレビや本などで得られるアメリカの日常的な風景というのは、白人や黒人やアジア人やイスラム教徒やアフリカ人なんかがNYの街中をうろうろしている、そんな風景かもしれない。でもこれは実はアメリカという社会の一部分に過ぎないと思う。


僕らはワシントンDCから一路西へ向かって旅をしていたのだけど、内陸に入っていくにしたがってまわりにいるのは白人ばかりになった。スペイン語をしゃべるおじさんもいないし中国語のなまりでしゃべるおばさんもいない。特に排他的な感じはしないけど、広大で何もない(どう書いていいのかわからないけど、そして走ったことのない人には想像できないかもしれないけど、本当に何もない)ハイウェイを走っていても、車の運転手はみんな白人のおじさんおばさんなのだ。


これには正直に言って少し驚いた。結局僕はアメリカに二年近く暮らしていたのに一部の面だけを見ていたんだなぁと思った。


朝、宿を出て、9時過ぎにミネソタ州に入った。見えるものといえば牛だけ。アメリカって本当に広大な国だなとあらためて思う。しかし本当に退屈な風景だ。


ミネソタとサウスダコタの州境付近でハンバーガーを食べる。でっかいハンバーガーに、バケツくらいの大きさのコーラを飲む。2時すぎにミネソタを突破してサウスダコタに入る。サウスダコタというところはどういうところか知らなかったけれど、冗談抜きで田舎だ。アメリカのかなりディープなところにいよいよ入ってきたという感じがする。外国人なんてあまり来ないんじゃないだろうか。


そんな単調な風景の中で、僕と彼女はぐったり疲れてしまっていた。そんな中、どこまでも続く単調な風景の中でほとんど唯一の変化と呼べるものがあった。サウスダコタに入ると突然、「Wall Drug」という巨大な看板があちこちに現れてきたのだ。


看板がハイウェイのすぐ脇に立っているのは特に珍しいことではないけれど、この看板はとにかくへんてこりんで、何を宣伝しているのかさっぱりわからない。Drugとあるから薬屋かなぁと思ったのだけど、看板の文句を読むと「Western Fashion」とか「Free Water」なんて書いてあるので薬を売っているわけではないみたいだし。


彼女と二人で「これは一体なんなんだろうね?」とあれこれ話しているとけっこういい時間つぶしになった。でもなんとなく面白そうな雰囲気がするので、明日行ってみようかということになる。というのも明日はそのWallという町のすぐ近くを通ることになっていたのだ。


今日はほぼ走りづめで、結局5時半くらいに小さなド田舎の町で泊まる。町といっても人口は100人もいないんじゃないかと思うような小さなところだ。かなり静かなところで、当然のことかもしれないけどアジア人は僕ら以外にいなかったサウスダコタで


モーテルの近くのレストランで食事をしたが、いかにもハーレー・ダヴィッドソンに乗っているようなおじさんばかりがいて、ここは何なんだ?と思ってしまった。考えてみるとハーレーとかはやっぱり白人アメリカ人の文化なんだろうなぁと思う。普段そんなこと意識したこともないけど。こうやって車に乗って移動していると、やはりアメリカ社会の底というか、そういう文化が見えてくるので面白い。


ところでこの食事だけど、かなりでかいステーキにポテトとサラダがついていたのだけど、あんまりおいしくなかった・・・。なんでだろ?っていうか味が薄いんですけど!塩を大量にふりかけてしまったんですけど!まぁ量は確かにあったんだけどさ。。これも文化ですか??


写真は、サウスダコタ州に入ってわりとすぐ。変化のない風景の中、川が流れていたので感動して写真を撮ってしまった。ちなみにこの日はすさまじく暑い日で、肌の焼ける音がきこえた(嘘だと思うかも知れんけど、ホント)。

シカゴへ、そしてシカゴからの道中

8月7日。


朝早く起きて、8時くらいに宿を出る。DCはかなり真夏の雰囲気が漂っていたけれど、それよりいくらかは北に進んできたのかはわからないけれど、空気は澄んで涼しいくらいだ。しかし日中になってくると暑くなってドライブも疲れてくる。


アメリカを車で運転したことのある人なら納得してくれるだろうけれど、アメリカのハイウェイを走るのはなかなか疲れる。日本より道が広いし渋滞はあまりないからそれはいいんだけど、なにしろ延々と同じ風景が続くのですっかり飽きてしまう。アメリカ横断をした人の旅行記などを読んでもここらへんの風景は退屈であるということで一致している。


オハイオ州を抜け、インディアナ州に入る。インディアナの人には悪いと思うけれど、ここもまったく面白みのない土地だった。個性というものがないのだ。


昼前にイリノイ州に入る。ここからは別のタイム・ゾーン(今までは東部時間だったがここからはセントラル・タイム・ゾーンになる)になる。つまりは時差があるということだ。同じ国の中に時差があるなんて本当に信じられない。しかしきちんと時計を一時間戻す。これはなんとなく得したみたいで楽しい。


このころになると僕はすっかり退屈してしまったので周りの車のナンバープレートを眺めている。日本のナンバーは白いプレートに数字が書いてあるだけなので眺めていて特に面白いものではないが、アメリカのナンバーは州ごとにデザインが異なっているので見ていて楽しい。たいていはその州の名物みたいなものが描いてある。


イリノイ州はリンカーンの顔が描いてあった。リンカーンはイリノイの人だったのだろうか、と思ったけれどよくわからない。ま、彼らがそう主張するのだからきっとそうなんだろう。


さて、そうこうするうちに昼くらいにシカゴに着く。シカゴは思っていたよりも大都会だ。なんとなくイメージがニューヨークに似ている。高層ビルがあって、人々がせかせかと歩いていて・・・という感じ。ここで休憩して、適当な店に入って名物のスタッフト・ピザを食べる。僕は知らなかったけれどシカゴではスタッフト・ピザが有名らしい。どういうものかというと、まぁ要はいろいろと上にのっているピザのことであります。これはまあまあだった。


シカゴでは特に他にやることもなくて(二人とも都会にはあまり興味がないのだ)シカゴを出てまたハイウェイに戻る。しかし、このあとが最悪で渋滞に巻き込まれてしまい(大都市はこれがあるからやだよね)、あまり進めず、夕方ウィスコンシン州に入って割とすぐのシカゴ

モーテル(スーパー8)で泊まる。ほんまに疲れましたわ。写真はシカゴへと続く道。道が広いのがおわかりいただけるでしょうか?(続く)

横断旅行一日目:ワシントンDC~オハイオ

2005年8月6日。


誰が考えても無謀だと思えるアメリカ横断旅行に出かける日がやってきてしまった。僕の親切な友達のうち何人かは最後まで「やめとけって、そんなことできるわけないって、今からでもやめられるって」と必死でひきめてくれたけれど、もう無理なんだよ。俺だって横断してみたいんだ。


彼女が朝僕のアパートまでやってきて、そこに荷物をいろいろ詰め込む。僕らが旅行にあたって用意したものは、参考までに書いておくと、


水着厚手の長袖シャツを含む服。なにしろアメリカは広いから、真夏とはいっても北のほうでは夜とかもしかしたら寒くなるかもしれない(あとでわかったが、これは大正解だった)。それから西海岸やや南部に行ったら当然泳ぐつもりだったので水着も必須だ。


水と食料品。ほとんどハイウェイが続くし、日本とは違ってハイウェイで喉が乾いてもちょっとすぐそこで休憩を、というわけにはいかないのでミネラルウォーターも必需品だ。それにもしオーバーヒートしても水をかけてエンジンを冷やせる。食料は当然日本食。東部や西海岸はともかく、一度内陸に入ると貴重な日本食はほとんど手に入らないだろうと思って何食分か用意したのだ(ちなみに炊飯器とお米も含む)。あとでわかったのだけれど、この判断は大正解だった。特に旅の後半になってくるとアメリカの食事にすっかり飽きてしまい、日本食にひどく飢えることになる。


まぁもちろん他にもいろいろあるけど省略。あ、あと持っていったものとしてはCDをどっさり。なにしろ一日車の中にいるわけだから音楽でもきいてないとやってられないわな。邦楽洋楽関係なく適当に二人で持っているCDをかき集めて車に乗せた。


これらを車のトランクにどさどさと積み込む。車はトヨタのラブフォー。彼女が運転しなれてる車だ。中古とは言ってもまだ新しいし、この旅のあいだ持ってくれるだろう・・・。なにしろ車がおじゃんになったらもうおしまい、になってしまうのだ。


天気は快晴とはいかないまでも気持ちの良い晴れで暑く、出発するにはうってつけの日だ。


朝9時55分に、「うーし、いくぞー」と二人で叫んで出発する。


まずはDCから北西の方向に向かう。僕らの旅の計画では、北周りでシカゴを通り最初の目的地、サウスダコタ州のラピッドシティを目指す。


そこから西に向かい、カリフォルニアを南下してロスから東に向かい、テキサスを通ってアメリカ南部を突破してフロリダに到達したあと南に戻ってワシントンDCに戻ってくる、というルート。


これをだいたい20日くらいかけてめぐろうということになっていたが、まぁきつければ途中でどんどん変更していこうよ、というまぁいつものばっ旅であります。


DCからまずメリーランド州に入り、そこからハイウェイに乗って北上する。このへんはまだDC近郊という感じで、まだまだ旅も序の口だね、と言いながら冗談を言って笑ったり適当にお菓子をつまんだりしてのんびりと進む。


しかし徐々にメリーランド州の奥深くなるにつれて目に付くのははるか大自然のみ、田舎に来たなぁという感じになってくる。しかし驚くくらい道がまっすぐで単調で、何もない。牛しかいないの。ここは何なのよ、って思ったね。そしてだんだん白人ばかりが目に付くようになってくる。考えてみるとワシントンDCは首都だからかもしれんけど、黒人や白人以外のマイノリティがけっこう多い。でもこうやって一歩内陸に入るとそんなのはどこ吹く風、って感じやね。


昼前にメリーランド州を抜けてペンシルベニア州に入り、適当な町でハイウェイを降りて、小さな町で休憩して昼飯を食べる。あまり選択肢はなかったのでピザハットに入ってバイキングみたいな感じのを頼む。


対応してくれたウェイターは特に感じが悪いわけではなかったけれど、アクセントがかなり独特で、何を言っているのかよくわからなかった。強いて言えばアメリカ田舎なまり、というかそういう感じ。回りをみても白人ばかりでアジア人なんか僕らだけだし、けっこう田舎に来たなという感じになってくる。


そこを出たあと、風景はさらに単調になってくる。正直に言って書くべきことはあまりない。ただただ二人で眠気をさますためにしゃべりながら着実に進んでいった。


4時ごろオハイオ州に入り、6時前くらいにクリーブランドの少し先の小さな町で泊まり、いくつかモーテルをあたってみる。モーテルというものに泊まるのはお互い初めてだったので値段の相場がどれくらいか、どういう感じの部屋なのかよくわからなかったけれど、いくつか見た結果値段がやや高かったけれどコンフォート・インに入ることにした。


そこは近くに五大湖のひとつ、エリー湖があるというので車で湖まで行ってみることにした。残念ながら夕日は見られなかったけれど、湖は不思議に僕の心を和ませてくれた。水辺で犬を遊ばせている家族がいた。とても楽しそうに見えた。


それから近くのレッドロブスターに入って夕食を食べた。まわりの奴らが全員太っているのが少し気になったけど、出てきた食事見て納得。ばかみたいに一皿がでかい。こんなのとても食いきれるか!「デザートはいかがですか?」とウェイターがきくが、ふと隣で食事をしている見事に太った家族のテーブルを見てみると、3スクープくらいのアイスをのっけたアップルパイをおいしそうに食べている。もはや笑うしかないね。当然デザートは断った。


一日目にしてはなかなか順調だったと思う。だいぶ疲れたけど。ペンシルバニアへ

まだ先は長いし、まぁゆっくりやろうや、って感じですかね。ちなみに写真は、小さくてわからんと思いますが(笑)ペンシルバニア州に入ったことを知らせるウェルカム・マーク。単調なたびの中で、州越えは数少ない楽しみの一つでありました。(続く)

アメリカを横断してみよう。

アメリカ大陸を車で横断しよう、という考えは彼女が言い出した。アメリカに来てからあまりいろんなところに旅行に行っていないし、「それに楽しそうじゃない。車に乗ってアメリカのいろんなところを見ようよ」と僕に言った。


僕は正直に言って最初はあまり乗り気ではなかった。アメリカという国に二年近くいたのだけれど、結局この国ではどこにいっても均質で退屈な景色ばかりが連なっているのだろうと勝手に想像していたのだ。別にアメリカの隅々まで見たってしょうがないじゃん、とも思っていた。


しかし、彼女が言うように一度くらいはこの広大な国を車で突っ走ってみたい。広大なテキサスの砂漠、どこまでも続く平原霧にけぶる西海岸の町・・・そんないくつかのイメージが僕の頭の中にもわんもわんとふくらんでいった。


昔のヒト、松尾芭蕉さんも書いているけれど、旅は病的なモノだ。いったん旅に出ることを思いつくと、そのイメージはどこまでもふくらんで、日常の生活に手がつかなくなる。それ以外のことを考えるのがだんだん困難になってくる。そして、たいていの場合いきあたりばったりの旅に出ることになる。


今回の旅のはじまりも、今思うとそれとけっこう似ていた。

横断旅行1

(写真はペンシルバニア州付近のハイウェイにて。特に意味ないです。でも「撮れ」という命令が下りましたので撮りました。)


さらに、村上春樹のエッセイ集「辺境・近境」にアメリカ横断の話が書いてあったこともけっこう影響した。文章の合間から漂ってくるアメリカ的な匂いをかいでいるうちに(そういう文章的な効用を確かにこの人の文体は持っている)やっぱりアメリカ横断にでかけたくなってきたのだ。


しかし問題がいくつかあった。彼女(日本人)はヴァージニア州の運転免許を持っているけれど、僕は運転免許を持っていない。もちろん僕は旅行に行く前に忙しいスケジュールの合間をぬって免許を取ろうとしたけれど、種々の都合で取れなかった。


彼女にそう言うと「んー、じゃあまぁいいんじゃない?あたし一人で運転できるよ」と言い出したので僕はびっくりした。


アメリカ大陸を横断するとなると、僕らがはじめに考えていたプランでは一日に8時間は少なくとも運転することになる。それを二週間以上にわたって一人で続けるのはしんどいだろう。というか正直に言って自殺行為だ。


僕がそういうと、彼女は「んー、まぁでも平気じゃない?あたし運転するの好きだし」なんてことを言い出した。お父さんがきいたら卒倒するだろう。


これは好きとかいう以前の問題である。僕はそう説得して第三者のドライバーを旅の仲間に加えるか、僕が運転免許証を何らかの手段でとるまで待っていてほしいと言ったんだけど、彼女は「大丈夫大丈夫」と言って勝手に大陸横断に必要なものをそろえ始めた。このひとは本当に一人でアメリカ大陸を走って横断するつもりなのだ。こいるはただのアホなんてすばらしい彼女なんだ、と僕は思った。


結果から言うと、彼女は本当に愛車ラブフォーを運転してこの旅を乗り切ってしまった。


本当にあきれるくらいすごいと思う。俺だったら三人くらい代わりの人がいてもできなかったかもしれない。


「だって一人じゃないしさ、助手席に誰かいるだけで疲れ具合とか全然違ってくるよ」と彼女は言うのだけれど、それにしたってほとんど一日座りっぱなし、運転しっぱなしなのだ。まぁおそろしい体力としか言いようがない。俺はこれまで女を甘く見ていた。全女性に対して心から「あんたたちはすげぇ」と言いたい。やっぱり21世紀は元気な女の子たちが作っていくべきだね、うんうん。俺、本気でそう思った。


で、俺。旅行のあいだ何してたかって?うん、そりゃまぁいろいろなんだけど、主にナビですな。だってこの運転手、尊敬してるんだけどいろいろ注文が多いんですよ。


町の中に入っていくと、「どこのストリートを曲がればいいの?」と殺気だった声で僕にきく。「ミシガン・ストリートを左に曲がって、2ブロック行ってから右に曲がる」と僕が的確に言う。


だが2ブロック行った通りは右折禁止である。「あーなんだぁ」と彼女はおおげさにため息をついて僕のほうを見る。そんなこと言われても、どこの通りが右折禁止かなんて全米の地図にのっているわけがないじゃないか。まったく不本意である。


それから、郊外のハイウェイを走っていても安心はできない。僕がぼおっと窓の外を眺めたりしていると、「あっちょっとちょっとあの風景写真に撮ってよ」なんてことを突然言い出すので「どれ?」と彼女が指差すほうをみるとそこには一群のホルスタイン牛の群れがのんびりと草を食んでいる。19世紀的にのどかな景色である。


「・・・あれを撮るわけ?」と僕はきく。「そうそう。あたしホルスタイン大好きだからさ」と彼女は言う。
しかしそのあいだにホルスタインの群れは遠ざかっていってしまう。「あーもう、撮れないじゃない」と彼女は言って怒る。そんなこと言われましてもねぇ。ホルスタインを撮れ、なんていう命令が下されるなんて予想はしてませんよ。


世の中の女性たちはこのエピソードをきいて、僕に同情してくれるのだろうか?それともみんな彼女のようなもんなんだろうか?俺にはわかりまへん。


まぁ、そんなこんなでアメリカ大陸横断の旅がはじまります。つまんないところが多いかもしれんけど(まぁたぶんそうだろな)最後までおつきあいください。


PS. いろいろ書いたけれど、この旅では本当に彼女に感謝しています。彼女は長い旅行の間中一人で運転していたにもかかわらず文句ひとつ言わず、旅を楽しませてくれました。彼女がいなかったら大陸横断できませんでした。運転はしなくても俺も一応旅に参加していたと思っているけど、しかし彼女のほうが(あたりまえだけど)やっぱり偉いと思う。なんで、このシリーズの最初にあたって彼女に深く深く感謝の言葉を残しておくことにしました。ありがとね。

アメリカ横断旅行に行くのだ!

みなさんお久しぶりです。最近さぼりぐせがついてしまっているkoroです。


いや、なんか、いつも見てくれている人には悪いなぁーって思ってるんだけど。でもなんとなくやる気がでなくて。


ってか、突然みたいだけど、これまで書いてきたシンガポールとマレーシアの話はこれでおしまいです。


え?って?なんでそんなに突然終わりになってしまうのかって?そりゃーまぁ旅が終わったから、でありますわな。


前回書いた日の翌日とても朝早くにシンガポールのチャンギ空港からアメリカに帰ってきました。シンガポール発の飛行機は朝早かったけれど、ちょうど日の出の少しあとだったので、くもっていたけれど少しだけ太陽が見えてなんだか最後に不思議に感動してしまいました。


さて、で、このブログですが、まるで終わりそうな感じがしたかもわかりませんが、全然終わりません。なにしろねたはいっぱいあるのです。売り物になるくらい。


ということで、次回からは「ばっ旅アメリカ横断旅行編」がはじまります。


アメリカ横断、したいと思っている人いますか?いないですね、はい。あれほど消耗する旅行ははじめてでした(笑)でも同時に、アメリカってすげえ広い国だ!日本で知られているアメリカはごく一部にすぎないんだ!ということがわかってとても面白かった。なのでそれを次回から書きます。どうか読んでくだされ。koroでした。

シンガポールはチャイナタウンだ!

7月27日-シンガポール-


シンガポール2日目。朝8時くらいに目が覚め、シャワーを浴びて昨日も行ったホテルのすぐ目の前にある中華フードコートでまたご飯を食べる。昨日とは別の店でまた麺を食べる。昨日のとはちょっと違って普通のラーメンに似ているものだったけれど、これもとてもおいしかった。ちょっと辛かったけど。


そして歩く。まずはマーライオンを目指す。というか、シンガポールに来て見るべきものというとマーライオンくらいしか思いつかない。それに僕の名前にも似ててちょっと親しみあるし。


しかし暑い日だ。すぐに喉が乾く。


メトロで川の近くまで行って、そこから河口まで下る。メトロはすごくきれいで近代的。


ラッフルズ上陸地点というのがあったが、ふうんそうなんだと思うだけ。ラッフルズはシンガポールを建設した人だ。ちなみにマレーシアなどにあるラフレシアという幻の花の名はこのラッフルズからとられている。たぶん彼がラフレシアを最初に見た西洋人だということに由来しているのだろう。へぇー。マメ知識。


マーライオンは海辺にある。実はマーライオンは新旧二つあって、古いほうは本当に小さくて「世界三大がっかり」(有名なわりには実際に行ってみると大したことなくてがっかりするから)に数えられているほど評判が悪かったので、今のマーライオンはすごく巨大だ。どはーっと大量の水をその口から吐き出している。


晴れていて海もきらきら輝いていたし、とても気持ちがよかった。マーライオンはなかなかいいじゃん、と僕は思った。すごく感動するほどじゃなかったけど。のどが渇いたのでジュースを買って飲むと、そこの屋台のおばちゃんに「ニホンジン?」と日本語で言われた。「うんそう」と言うと、「ガッコウ?」とそのおばちゃんは言った。意味がわからなかったが、修学旅行で来たのか、ということをきいているようだった。「違うよ。遊びできたの」と言うと、意味が通じたのか知らないけどうんうん、とうなずいていた。


そのへんでしばらくぼんやりと時間をつぶし、そこからチャイナタウンに歩いていく。


ちょうどチャイナタウンに着いたのはお昼ごろだったのでご飯でも食べようと思って適当なフードコートみたいなところに入っていくと、「うお!」すごい人人人!一面人だらけ!


そしてどうだ、この熱気!中国語の怒号!すごい。この迫力には圧倒されてしまう。「チャンミンチャンナー」みたいなことを店のおばさんが怒鳴る。「ミータイツィツァオ」みたいなことを客が言う(すんません、僕には中国語の知識はないので適当に書いてます)。


ここはいったいどこだ?中国か?僕は中国に行ったことないけど、たぶん実際の中国もこんなもんなんじゃないかと推測する。ともかくまわり中国人ばかりの中で(たぶん日本人はじめとする観光客は僕だけだったろうと推測する)チキンライスを食べる。なかなかおいしかった。これで3ドル(200円くらい)。マレーシアほどじゃないけどとにかく安い。シンガポールって、話にはきいてたけど、町全体がチャイナタウンみたいなものなのねぇ。


満足して、それから少し街の中を歩いて帰る。昨日も行ったけど、もう一度インド人街に出かける。インド人のおじちゃんたちが集まって何かやっているのでのぞいてみると、どうもチェスみたいなもので遊んでいる。それをみんなでじっと見ている。僕はそれをじっと見ている。どうも暇人ばかりだ。人のこと言えないけど。


歩いていると日も暮れてきたし腹も減ったのでインド人街でカレーを食べる。インド人街ならマレーシアでもそうだったけど、きっとおいしい本格的なカレーが食べられるに違いないと思ったのだ。しかしここのインド人街も、歩いている人は見事にインド系の人ばかりで、サリーをきて歩いている人も多い。


適当にインド人街を歩いて、少しは客が入っている食堂のようなところに入ると、インド人っぽいおじちゃんがいて、「何を食べるか?」ときいた。僕は何かよくわからないので、そこにかかっている写真を見て、ご飯とカレーの具がまわりに置いてある皿をゆびさして、「あれが食いてえ」と言った。


「よし、わかった。何か飲み物は?」ときかれたので、「レモンジュースをください」と言うと、「生のジュースはない。缶しかない」と言われたのでちょっと面食らった。マレーシアではカレーを食べるときにいつも生のフルーツジュースを飲んでいたのだ。しかしここでは少し違うのだろう。コーラを頼んだ。


料理が出てくるまで、ぼろっちいテーブルに座って、ほおづえをついてとおりをぼんやりと眺めていた。近くに電気店があるらしく、音楽が流れているのがきこえてきた。どこか懐かしい感じのするインドの音楽のようだった。夕暮れが近いからなのか、人々はどんどん通りに出てきて、何か笑いあったりしながら歩いているた。奇妙に心のなごむ光景だった。


カレーがでてきた。これはスパイシーで量もたっぷりあったしうまい。これが7シンガポールドル。本当はさらに50セント分高いのだけれど、インド人のおじさんがおまけしてくれたのだ。「あんた日本から来たんだろ?遠いところよく来たよ。これ、うまかったかい?」とおじさんはにこにこして僕に声をかけてくれた。「とてもおいしかった」と答えると、おまけしてくれたのだ。旅ももう終わりに近い。最後にいい気分になれたな、と僕は思った。(続く)

ラーメンと動物園

シンガポール 2005年7月26日


さて、ジョーダン問題 も一応片がついたので、気を取り直して外に出てみる。


・・・だが、考えてみれば通りの名前すらもわからない。何しろガイドブックは持っていないし、知り合いもいないのだ。宿でもらった地図によればここは市内の中心部からは外れているが、インド人街に近いみたいなのでとりあえずそこまで歩いてみることにする。


その前に腹が減ったので、まず宿のすぐ向かいにあるフードコートみたいなところ、というかざっくばらんにいえば大衆食堂みたいなところに行ってみる。


中に入ると、いろいろな中華系の料理が並んでいる。時間が中途半端なせいか(5時ごろ)、客はそんなにはいない。ラーメンみたいなのを売っている店があったのでそこに行って適当に注文してみる。中国語、というか漢字でメニューが表示してあるのでわかりやすい。餃子麺と書いてあるのがあって、これはおそらく餃子が入っているラーメンのことだろうな、と推測する。こういうのは日本人にとっては便利だよな。


おじちゃんとおばちゃんがざっざっと大なべで麺を茹で、それを日本でよくあるラーメンの深いどんぶりじゃなくて、平皿に盛っている。見ているとなかなかおいしそうである。僕はさっきの餃子麺を注文した。これはラーメンというよりは暖かい冷やし中華に近い。お皿に乗った細麺に小さな餃子が乗っていて、そこにごま油に似たタレをかけて食べる。これは予想通りとてもおいしかった。


ようやく元気を回復して、満足してそこを出て歩いていく。見る限り、シンガポールはとても清潔な街だ。そして治安も良い。こういうところなら気持ちよく暮らせるだろうなぁと思う。食べ物もうまいし。けっこうマレーシアに似ているところも多いのだけれど(何しろ昔は同じ国だったのだ)、ここは何しろ中華系が7割を占めているから、街全体がチャイナタウンみたいだ。あちらこちらに中国語の看板がある。そして人々はけっこうおしゃれである。女の子達は日本みたいな格好して歩いている。日本人も多い。なんだか日本を思い出す。


インド人街ではバザールみたいなのをやっていて、楽しかった。何も買わなかったけれど、けっこう買っている人は多かったようだった。さて、これからどうしようか、と考える。シンガポールといえばマーライオンだけど、ともかく今日は時間も遅いのでそれは明日にまわして、今日は電車とバスに乗って一時間くらいのところにある動物園に行くことにする。


ここにはナイトサファリがあるのだ。その名の通り、サファリなんだけど、夜やるあたりがすごい。観光客が多かった。バスで僕の隣に乗った人たちはフランス語をしゃべっていたし、僕の前には日本人のカップルがいた。動物園にはどこに行っても日本語の表示があった。やはり日本人が多いのだ。


動物園はけっこう混んでいるかと思ったけれど、それほど混雑もしていなかった。園内を一周するトラムに乗っていろんな動物を間近に見る。すげー。本物のサファリに来たみたいだ。ライオンが活発に活動していて、とても興味深い。こっちに来ないことはよくわかっているのだけれど、それでもぐぉおおおおん、と吼えているのを見ると正直ちょっと怖い。そしてライオン同士がいきなり喧嘩をはじめる。「ははは、こどものライオンがじゃれあっていますね」とガイドが笑って説明するけれど、まわりの人の顔はみんなひきつっている


途中で降りて、ジャングルの中を実際に歩いてみる。園内は本当に暗いのでちょっと不気味な感じがする。モモンガみたいなやつがすぐ近くにいて、木にとまっていた。ひょこひょこと動いて、僕のほうをじっと見ていた。なんだかかわいいやつである。


とことこ適当に歩いていると、「こうもりの館」(みたいなところ)があるので、どんなもんかと思って入ってみる。前に入った人たちが「ぐわー」「ぎゃー」「もうヤダー」という悲鳴を上げているのを聞いて占いおばばの館に入る悟空たちのような気分になったが、覚悟を決めて入る。


中は真っ暗で、何がいるのかわからない。と、上を見るとでっかいこうもりがわっと大きな音を立てて飛んでいくのが見えた。けっこう距離があったが、羽根(?)の大きさのわりに顔が極端に小さいのが見えた。うえージャングルの中にはあんなのがいるのか、こえーなー、と思って前を向いた瞬間、


ぶぁさっ!!」 ぎえええええーーーー!!!


な、なんと、巨大なこうもりがびょーっと目の前をかすめていったのだ!これにはびびった。あんなに巨大なのがいるのか!ジャングルの中で夜明かしはしたくないなーと本気で思ったkoroであった。


そしてまたまたトラムに乗って、もう半分のトレイルに入る。白と黒のでっかいバクがすぐ近くにいた。げぇっと思った、だって今まで獏なんてすぐ近くで見たこと無いもん。そのほかいろんな動物を見て、そして帰る。なんだか興奮さめやらぬという感じだし、隣の部屋がうるさかったからなかなか寝付けないかなと思ったけれど旅の疲れでいつのまにか寝ていた。 (続く)

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